原発推進派の口癖は、過去の原発事故では死者がいないという。
公表されていないだけというのが真実らしい。
推進派の学者や官僚は、こんどの福島原発事故でも死者はいないと、平然と記録しているだろう。
しかし、原発事故の放射能汚染は、救助活動を不可能にする。
津波に逃げ遅れた人々の中には、放射能汚染さえなければ、救えただろう命が少なからずあったという。
下の記事は、ほんの一例に過ぎない。
また、原発事故による人命喪失は、各病院の避難中でも起こったという。
人命の喪失は、賠償で足りるものではないが、せめてもの償いとして損害賠償くらいは東電に請求してもいい気がする。
原発の設置と稼働は、霞が関官僚たちが、一般国民の命を犠牲にした行政の典型事例といえるだろうね。
1.福島原発事故 その時私は
『[3・12]双葉病院長 鈴木 市郎さん(77) 2012年3月12日 東京新聞
◆置き去りにされた 救助の遅れ 亡くなった高齢者50人
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町役場に助けを求めるとバスが来て、患者二百九人と全職員が乗り込みました。
残されたのは患者百二十九人と私一人。
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ところが午後に1号機が爆発した。役場を見に行くと、人の気配がない。「置いていかれた」と思った。
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翌日、救助は来ませんでした。
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後で双葉署長が病院に来てくれました。でも、車の手配が難しいからと、「今日の救出は無理」って告げられた。思わず「このままでは百人亡くなる」と怒鳴っていました。
その夜、衰弱で一人目の患者が亡くなりました。翌朝には二人。このままだと本当に数十人単位で亡くなると思いました。
十四日朝。
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3号機が爆発。
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バスの車内で三人、到着後の高校の体育館で十一人が亡くなった。除染のためいったん北上した後、百人を超える患者を収容できる施設を求めて原発を避けるように移動したためだと、後で聞きました。
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三十一日までにドーヴィルと合わせて、四百三十六人の高齢者のうち五十人が亡くなりました。
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五十人は救えた命だった。
・・・・・・・・・・・・・・・・』(tokyo-np.co.jp)
http://www.tokyo-np.co.jp/feature/tohokujisin/oneyear/120312-1-1.html
2.福島・大熊長で追悼式
『防護服姿で献花 福島・大熊で追悼式 2012年03月12日月曜日 河北新報
福島第1原発事故で警戒区域に指定されている福島県大熊町で11日、東日本大震災の追悼式が行われ、津波で肉親を亡くした遺族が防護服に身を包んだ姿で霊を弔った。
遺族3人と行政区長ら11人の計14人が、原発から1キロ先の夫沢地区と3.5キロ先の熊川地区を順に訪れた。現地の放射線量は毎時10~40マイクロシーベルト程度と高く、滞在が10分ずつと限られる中、遺族は黙とうし、献花台に花を手向けた。
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原発事故当時、夫と息子の妻の安否も不明だったが、木村さんは国の指示で避難せざるを得なかった。
「夫らを置いて逃げた時の気持ちはうまく言えない。事故がなければ捜し出して助けられたかもしれない」と話した。
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原発事故で全町民1万1500人が避難している。』(kahoku.co.jp)
http://www.kahoku.co.jp/news/2012/03/20120312t63016.htm