放射能汚染に関しては、小学館の週刊ポストは、ライバルの講談社の週刊現代を煽りメディアと批判する。
たしかに、週刊現代は、各地の放射線量を測定し、掲載し、ホットスポットを指摘している。
しかし、それが実際の測定値の掲載である限り、煽り行為と断定するのは早計だろう。
政府も自治体も測定しない、測定してもなかなか公表しない状態では、庶民はどう防衛すればいいのか分からない。
その資料を提供してくれる唯一の週刊誌であったとも言える。
福島の事故前にも、原発に反対する人々がいた。
メディアがオカルトチックに扱ってきた人々だった。
しかし、福島原発の事故は、彼らの主張が間違ってはいなかったことを裏付けたといえる。
今は、原発推進を叫んだり、放射能は心配ないというメディアの方が、逆に、オカルトチックと受け止められているんだろうね。
今の日本でほんとうに怖いのは、「放射能安全神話」だろうね。
日本人は、海外の人々に比べて、防衛意識が薄いといわれる。
これは、日本のメディアや霞ヶ関がもたらした弊害かもしれない。
事故直後、アメリカのメル友の女子高生から、疑問と警告を受けたことがある。
日本では、福島から80km圏内の人全員に、ヨウ素剤が配られていないのは、なぜだという。
アメリカでは、そうすることになっている。という。
危険の可能性が少しでもあれば、それに応じた危険回避策をとる。
それは日本では常識ではないのかという驚きにも似た警告だった。
これには、いわゆる「平和ボケ」というやつだろうと言うしかなかった。
この小学館の記事を見たら、メル友の女子高生は、失笑するかも知れない。
これが、ホントウに小学生向けの雑誌を出している会社なの?とか。
下の教授の、集団行動についての記述。
今でもなにかと批判の多い、「東京都公安条例事件判決(最大判昭35年7月20日)」で最高裁が用いた「集団暴徒化論」を思い出す。
逆に「安全・安心」を煽る目的は何なのか。
もしかしたら、小学館は、原発再稼動を期待してるのかもね。。。
『放射能ノイローゼ 最も過激な「危険だ」の声だけ信じる懸念 (NEWSポストセブン)
東京都世田谷区の民家で見つかった「放射能ビン」騒動は、当初、“東京ですごいホットスポットが見つかった”と、市民運動家や反原発団体を大騒ぎさせた。
結局は民家の床下にあったラジウムの瓶が原因だった。
今の日本で本当に怖いのは、放射能ではなく、放射能ノイローゼと放射能デマかもしれない。
煽り派メディアでは、いまだに学会で相手にされない“活動家学者”や、専門の学位すらない“似非学者”が登場しては「日本はもうダメ」「みんながんになる」と脅す。多くの科学者はうんざりして無視しているが、一般国民には誰が本当の専門家なのか、どれが信用できる意見なのか区別しにくいから厄介だ。
ついには「福島で起きた水素爆発は核爆発と基本的に同じだ」とか「チェルノブイリを超える被曝をしている」などという荒唐無稽なデマまでが、一部の狂信的な団体やジャーナリストに支持される始末である。
これは社会心理学でいう「集団極性化」「集団思考」が現実になった憂うべき状態だ。新潟青陵大学大学院の碓井真史・教授(臨床心理学研究科)が警告する。
「もともと集まった動機は悪くなくても、集団で討議しているうちに当初の意見がどんどん過激に、強くなり、極端に走るのが集団極性化です。しかも、外に反対の意見をいう“敵”がいると激しく非難し、自分たちに従わない者たちも攻撃対象にして結束を強めていく。それが集団思考です。
子供を放射能から守りたい、という発端は間違っていなかったとしても、次第に多くの意見のなかから最も過激な『危険だ』という声だけを信じるようになり、『大丈夫ですよ』という学者やメディアに“御用学者”“安全デマ”などと攻撃を加えていく。後から見れば、あの時はヒステリックになってたね、と笑えることかもしれませんが、この構造はカルト宗教やナチスにも通じるものであるだけに十分な警戒が必要です」
ある母親のネットワークは、行政や流通業界に対して「西日本の野菜だけを食べさせろ」、「どんな小さな放射能でもがんになるというのが世界の常識」などと主張している。 ※週刊ポスト2011年11月4日号 』(infoseek news)