ゼミ仲間のD君が、「NHK白熱教室」という番組で、「安全・安心」というテーマで原発を取り上げた講義があって録画したので、感想を聞かせてくれという。
そこで、DVDを借りて見てみた。
この教授は、明大の小笠原泰という人らしい。
対話形式で受講生の意見を求め、コメントするゼミ形式の講義で、やたらとカタカナ英語を使う。
えてしてこういうタイプの人は、他人の意見や言葉を借りたりする受け売りが得意な人が多い。
ただ、この教授がそうかどうかは、分からない。
一通り、DVDを見てみた。
が、結局なにを言いたいのか。よく分からない。印象としては、どうやら欧米人の合理性に傾倒している人のように見える。
だとすると、内容が薄すぎる。
そこで、「小笠原泰」でググってみた。
ヒットしたのが、下の文書。
これを読んでみると、この人の言いたいことがわかった気がした。
例によって、たいていは、最後あるはずと「結語」を見てみた。
どうやら、原発推進派らしい。
そこで、少し突っついてみることにした。
本文は、「安全・安心」について結構な量でいろいろと述べている。
が、それは、本質的なものではないだろう。
キーワードは、「原発」。
少し長いので、勝手に要約してみた。
ついでに、それに対する突っ込みを入れてみた。
1.「『安全』は客観的、『安心』は主観的」
・・・一見、正しそうに見える。
が、「安全」も「安心」も、どちらも使う人の主観が入っている点を見落としている。
もっというと、両者は、そもそも次元の違う言葉。
「安全」は、「安全なこと、安全なもの」、つまり、物の状態に対する一定の評価を表す。
一方、「安心」は「安心すること」で心の動きを表す。
次元の違うものを、比較して論じること自体、おかしな話だろう。
そもそもこの論述は、大前提にミスがある点で破綻している気がする。
なので、以下の突っ込みは、余談になるかもしれない。
2.「日本は欧米型の客観的な『安全』より、主観的な『安心』を求める。」
→これは、この教授の欧米人感と日本人感だろうね。欧米方式が好きなんだろう。
個人的な好みの問題。批評のしようがないので、スルー。
3.「日本では、原発の例が示すように『安全性』のレベルは、世界でも屈指のレベルにある」
→これは、よそと比べた相対的な『安全性』を言っているだけ。「世界屈指のレベルの安全性」が、「実用化できる安全性」と言えるとは限らない。これも異次元の話を混同している。
4.「情報も開示している」
→実際、重要な情報は、何一つ開示されていなかったことが、事故後、判明している。なにか勘違いをしたのだろうか。
5.「にもかかわらず、国民の『安心』は一向に得られていない。」
→半分は、あたっているかもしれない。これは、おそらく、福島原発事故以前の、反原発運動の人たちのことを「国民」といっているのだろう。事故後は、一般国民の安心は、たしかに得られていない。
6.結語1
「四国での核廃棄物処理施設建設の事前調査に関する騒動が示すように、『安心』という『こと』を背景とした日本人の核アレルギーは以前根強い。」
→これも、福島原発事故より前のことを言っているらしい。こういう「騒動」とか「核アレルギー」という言葉は、原発推進派が、反原発の人たちに使うことばだったらしい。
7.結語2
「・・・・中略・・・原発を例にとれば、「安心」のためには経済的合理性を超えた高いコストをかけるか、原発を止め火力・水力で電力を賄うか、賄えるエネルギー総量の中で経済・社会活動を行うという選択肢を提示すべきで・・・最適なエネルギーミックスの議論を冷静に行う必要がある。・・・』
→これは言葉の裏返し。「日本人の求める『安心』は不合理」であり、「最適なのエネルギーは原発である」といいたいのだろうね。
<まとめ>
福島原発以前は、原発推進あるいは原発認容であっても、事故後は、その意識が大きく変わったという人々は少なくないらしい。
今回取り上げた教授の論説文(下記)は、事故前に書かれたと見られるが、今も推進派かどうかは分からない。
「小笠原泰明治大学教授の論説文」
↓
http://www.keieiken.co.jp/pub/infofuture/backnumbers/28/no28_report02.pdf