「形式的な間違いは、ミスであって悪ではない。本質的な間違いこそ、ミスではなく悪である。」と聞いたことがある。
陸山会の記載間違いは形式的なミス。
おまけに被害者は誰もいない。
公務の信頼性が害されたわけでもない。
公務の信頼性が害されたのは、官民癒着の行き過ぎた原発推進だった気がする。
原発推進こそが、本質的な間違いだったのではないだろうか。
裁判所といえば個人の「人権を守る最後の砦」といわれる。
そんな刑事裁判を司る裁判所が、地裁といえ、取るに足らない形式的なミスで収賄事件を思わせるような有罪判決を出している。
この登石判決は、司法関係者からの批判の声が強く、裁判史上に汚点として残る判決と言われている。
欲に目が眩んだ人の末路は悲惨だという。
今回の一連の裁判は、検察審査会といい、東京地裁といい、「魔女狩り」といわれている。
小沢くんがいいとか悪いとか言う以前の問題だろうね。
彼らは、ホントウに個人の人権を守るための機関なのだろうか。
ただの霞ヶ関の官僚の一員にすぎないのではないか。
そんな気が次第に強くなっていく今日この頃。
判事の誇りは、日本から失せてしまったのだろうか。
『小沢を裁くのは体制ベッタリのエリート判事 (ゲンダイネット)
公判を指揮する大善文男裁判長(51)とは、いかなる人物なのか。元秘書3人に妄想判決を下した登石郁朗裁判長(57)のように検察寄りで権力ベッタリなのか。
判事の人間性によっては「民主主義国家では考えられない」判決が出る異常事態を見せつけられた直後だけに気がかりだが、大善裁判長は将来が約束されたエリート判事。登石裁判長以上に体制寄りなのだ。
「裁判官といっても、しょせんは官僚。常に判事同士で出世を争っています。大善裁判長の経歴をみれば出世コースを歩んでいるのは明らか。同期73人の判事の中でも『高裁事務局長』『司法研修所教官』を経験し、東京高裁刑事部の総括(裁判長)を狙える条件をクリアした数少ない判事です」(司法関係者)
東京高裁の裁判長になれば、司法トップの最高裁判事の目も見えてくる。
「これまでの異動先も広島に名古屋と地方都市ばかりで、本当の田舎勤務は出身地の高知だけ。将来を見越して他の裁判官以上に優遇されてきたことがうかがえます」(前出の司法関係者)
体制に守られてきた人物だけに、公判指揮も保守的だ。被告人が無罪を主張した公判で、事件の関係者が捜査段階の供述を翻そうが、お構いなし。アッサリと捜査段階の供述を支持して実刑を言い渡した過去もある。
今回の裁判の最大の焦点は、元秘書が捜査段階で「小沢に虚偽記載を報告し、了承を受けた」と認めた供述調書を証拠採用するか否かだ。
登石裁判長ですら、「取り調べには威迫と利益誘導があった」として却下した調書だが、体制寄りの大善裁判長の手にかかると、どう転ぶかは分からない。今回の裁判で小沢は司法権力そのものと闘わなければいけないのだ。(日刊ゲンダイ2011年10月6日掲載) 』(infoseek news)
http://news.infoseek.co.jp/article/09gendainet000156386