いつものように、この人についての知識がない。
また、批判するつもりもない。
純粋に論理展開に興味があるだけ。
一瞥してみたが、東電非難はダメというのか東電に責任はないというのか。
その意図が見えない。
この人は、wikipediaによると、東電擁護派のジャーナリストとある。
とりあえずは、ニュートラルな視点で、その主張を見てみた。
人には、人それぞれの立場があるし、生活もある。
その人が公人である場合はともかく、個人を批判しても恨みを買うだけ。
また、意味もないので、批判はしない。それはさておき。
実は、東電擁護派の人達が、どういう論理で東電の正当性を主張するのか興味がある。
そして、そういう人の論説を、できるだけ中立的な視点で丁寧に読むように心掛けている。
今まで見てきた東電擁護派の論説は、ほぼ、どれも「想定外」を論点においている点で共通している。
また、利権団体や料金体制の話も出てこなければ、自民党や霞ヶ関の話も出てこない点も同じ。
この人の主張はどうだろうか。
この人は、東電叩きはダメだという。
その理由は、
東電叩きは、新たなリスクを生むからだという。この辺は、少し新しいかも知れない。
その例をあげて、国鉄の民営化によって福知山線の事故がおきたこと。
また、JALは民間移行が強調されたから事故が起きたことをあげる。
ここまで読んで、この理由付けと事例は、なんとも不可解というか強引な気がする。
理由付けの一つに、想定外の津波で事故は避けられなかったとして責任回避を述べている。
この点は、当初、東電擁護論を展開していた勝間和代ちゃんの論理と同じ過ちを二度犯している。
1つめは、
2年前に、事故の危険性があると、IAEAから警告を受けていたが、東電がこれを放置していたために事故につながったことには触れていない。
さらに、事故の原因が、津波ではなく、地震でるあことをIAEAに対して報告していたという裏の事実もあるらしい(フライデー4/28)。
その真偽の程はさておき、東電社長が述べた一説にそれを臭わせる発言もある。
社長は、3月19日の会見で、「わが国が経験したことのない大規模地震に伴う津波といった自然の脅威によるもの」と述べている。
きわめて曖昧な物言いで責任回避の意図は見える。
しかし、はっきりと「津波による事故」とは言っていない。このあたりは、後ろめたい気持ちの現われとも取れる。
2つめは、
事故の予防と事故後の処理を混同している点。
原発の施設と管理システムは、事故は起きないものとして作られていたという。
つまり、事故による放射能汚染の危険が起きた場合、汚染の拡大を防止する対策を全くとっていなかったということ。これは、明らかな対策不備といえる気がする。
建屋を外から監視するビデオモニターすら設置していなかったらしい。
ここでの最大の矛盾点は、最初に、今回の事故は東電に責任があると言いがら、途中で責任はないような言い回しになっている。
やはり、他の擁護論と同様、政党、官僚や利権団体とのつながりは無視され、独占的利用料金についても触れられていない。
パフォーマンスとしては、悪くはない気もするが、以前の勝間ちゃんの擁護論の展開ほどは強くない。
今のところ、論理的に屈強な擁護論が、まだ見つからない。
興味のある人は、こちら。
↓
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110429/dst11042903050002-n1.htm
『ジャーナリスト・東谷暁 東電叩きによる「人災」
2011.4.29 03:04 (1/2ページ)
もういいかげんに「東電叩(たた)き」をやめてはどうか。
たしかに、今回の福島第1原発事故については東京電力にも責任があるだろう。
しかし、そのことといま蔓延(まんえん)している陰湿な東電叩きとはほとんど関係がない。
まず、東電の「想定外」発言を批判して何から何まで「人災」だと言うのは、恐怖に煽(あお)られた短絡にすぎない。この世の危険には確率計算できるリスクと、計算できない不確実性があって、リスクについて東電はかなりの程度まで想定していた。
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しかも、制御技術は組織そのものによって維持されている。これを東電叩きに乗じた怪しげな扇動によって解体してしまえば、新たな事故を招来しないともかぎらない。そうなってしまえば、今度こそ、東電叩きによる「人災」ということになるだろう。(ひがしたに さとし) 』(msn news)