『パンツの面目ふんどしの沽券』 米原真里 著 | 今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

今日もこむらがえり - 本と映画とお楽しみの記録 -

備忘録としての読書日記。主に小説がメインです。その他、見た映画や美術展に関するメモなど。


実家の両親の蔵書より拝借しました。生涯を通して越中褌を愛用した父を持ち、多感な時期をプラハのソ連学校で過ごし東欧諸国の様々な文化に触れた米原真里さんならではの、「下着」「肌着」などヒトの下半身を覆うもの(または覆わない)に関する古今東西今昔の事情をアカデミックかつコミカルに綴ったエッセイ集です。米原さん自身の実体験や伝聞と、その裏付け調査のための沢山の文献資料も中々のボリューム。

そういえば・・・もう多分20年以上前に、世界中の「トイレ」事情を綴った
エッセイ集を読んだことがあって、「空飛ぶトイレ」=ジャンボジェット機のトイレの仕組みと開発苦労なんていう、一般的にはわかりようがないアカデミックな内容から小話のようなネタまで幅広く網羅されていて、普段何気なく当たり前に使っているトイレひとつでこんなにも色々な事情が存在するのか、本が一冊かけるのか、と驚いたことがあります。裏覚えで本のタイトルが「憚りながらトイレの話」のような感じだったなぁ・・・と思って何気にAmazon検索してビックリ。トイレとか排泄とか下着とか、下事情に関する考察がメインの書籍ってすごく沢山あるんですね。Σ(・ω・ノ)ノ! 

結局、私が以前読んだ書籍は特定できなかったのですが(上記タイトルそのものでは該当するものがなかった)、これだけ多くの人間が、エッセイから学術書まで多岐に渡って語りつくしても尽くせぬ奥深さがあるのだなぁ、と感心しました。米原さんがこの本のあとがきで、手を付けてみたら思った以上に奥が深く最初の想定範囲からどんどん広大な荒野へと広がっていき収拾がつかなくなるほどだった、いざ大海に乗り出すつもりだったのがその手前の浅瀬でチャプチャプしているので精いっぱいだったとおっしゃっているのも何となく納得です。米原さん、お疲れ様でした(>_<)。

かつてロシア人将校たちは所謂「パンツ」「ズボン下」といったような下着の類は身に着けておらず、丈の長いスリットの入ったシャツの裾でスッポンポン部分を直接覆うようにして着ていたとか、彼らのトイレの使い方などは衝撃的でしたが、長年の環境や食生活の違いは外見体格だけでなく内臓の仕組みまでも人種によって異なり、それによって普段の生活文化にも大きく違いが出てくるんだなぁ、と普段あまり気にならない、もしくは知らない角度からの考察で目から鱗でした。

他にもロシアでは工業生産の女性用パンツが存在しなかったから基本的に皆、自分で手縫いしていたとか。恐らくその為に家庭科の実習で最初に習うのが超立体的構造で複雑なパンツだとか(私はエプロンだったような)、ロシア人上級生が型紙なし、採寸なしのフリーハンドでチャチャチャと魔法のようにパンツを縫い上げて大そうビックリしたとか。その時期に多国籍の同世代の子供たちと日常生活を過ごした体験があればこその着眼点は特に興味深かったです。

一方でプラハから帰国して日本の中学校へ編入した米原さんがカルチャーショックを受ける日本の習慣も沢山あったようです。その中で、最も不思議だったのは「友達になると一緒にトイレに付き添ってあげる」という習慣だそうです。そういえば、私が小学校~中学校の頃も、トイレに一緒に行きたがる女の子たちがいたなぁと思い出しました。誰もかれも、というわけではなかったので私自身は、「一緒に来て?」と頼まれたら付き合ってもあげるけれど、自分は必ずしも誰かを誘わずって感じだったと思います。私はその現象を、ある種の仲良しごっこ=いつも一緒♪の延長なのかな程度に考えていました。

だからある時期、ホームルームのような時間で女生徒たちに対して先生方が「友達と一緒にトイレに行くのはやめましょう」「トイレは一人で行きましょう」運動を始めたのは、多分、トイレに付き合うのをあまり快く感じない子たちもいて、でも断ると「付き合い悪い」という空気になって気まずいからイヤイヤ付き合うのが苦痛だったり、実際にそれで仲たがいや仲間はずれなんていう問題が起きたんだろうなと思っていましたが、米原さんの考察では「1人だけだと用足しに行ったことがモロバレしてしまうが、複数だと、誰が用足しで、誰が付き添いだったかを周囲に悟られないためなのだろう」とあって、あっナルホド・・・そういうコトもあったのね?!と。ずっと日本の女子で育ったくせに、なんて大雑把で鈍感な人間だったんでしょう、私^^;。

その他にもかの『古事記』に何とも大らかに月経の話題が記されているとか、「ハダカが恥ずかしい」→「隠す」ではなくむしろ最初は他者に「申し訳ない」「不快な思いをさせないように」との配慮で隠すようになり、やがて「隠す」状態が長く続くと今度はかくしてない状態が「恥ずかしい」と思うようになった、つまり「恥ずかしい」は後追いで生じたのではないかという説なども興味深かったです。
 

もう一つ、布地の下着からメリヤス(編み地)の素材へとの移行と発展に大きな貢献を示したのが、シェイクスピア時代のイギリスに生まれた

メリヤス産業の父ウィリアム・リーの発明した編み機だったという話。画期的な大発明、まさに産業革命を呼び起こすものでしたが当時手編みの靴下は貧しい女性達の内職の主流だったため、彼女たちの収入を奪う悪魔の機械として、エリザベス女王に頑として認めてもらえず、やっとフランスのアンリ四世の庇護を得られたと思った途端、プロテスタントとカトリックの争いでアンリ四世が失墜し、芋づる式にリー氏の資金援助もポジションも奪われてしまったという、なんとも不遇な秀才の生涯。彼の伝記には「イギリスは彼に生地と教育を与え、フランスは彼に庇護と墓地を与えた」と記されているそうです。

ただ、やはり米原さん自身が海原で時に方向を見失い手探りしながら資料整理に追われながらの本来の専門分野外の連載だったせいか、正直『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』ほどの文章や内容構成の煌めきは感じられなかったです。アーニャ達の物語の面白さを期待すると、すこーしだけエンジン不足を感じますが、それでも、知っていて役に立つのか立たないのかわからない(笑)、「ヘー!」なトリビアが好きな人は結構楽しめると思います^^。