前提、条件付きへの違和感 | Eden

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時に理不尽でも尊いもの、それが人生。

命にとっての世界を生きていく源を湧き起こしてあげられるような存在として在ることを心掛けています。

○○という幸せを得るために。

 

 

○○という目的を達成するために。

 

 

○○という成果を上げるために。

 

 

 

 

○○という人生を生きれるようになるために。

 

 

○○くらいの豊かさを築くために。

 

 

 

 

△△の知識を学ぶことが不可欠。

 

 

××のスキルを身に付けなければならない。

 

 

□□をやることを心掛ける必要がある。

 

 

○○のように考えて生きないといけない。

 

 

 

 

そういった前提付き、条件付きの世界に

 

 

食い違いや違和感を覚えたのは、いつからだろう?

 

 

 

 

現代の世の中には素晴らしい成果を残した方々による、

 

 

そのような主張や情報、環境、エネルギーが数多く存在している。

 

 

 

 

それらは多くの人々の人生の質と可能性が大幅に上がるよう導いているので、

 

 

その状況自体を軽蔑するつもりはないし、非難されることでもない。

 

 

 

 

寧ろ栄光に値することだと言っても過言じゃない。

 

 

 

 

それで最も生きやすい感覚と心情になれているのなら、それで良い。

 

 

 

 

ただ、いつも気になっていたのは・・・。

 

 

 

 

特定の条件や前提をクリアしないと、

 

 

○○という幸せ、目的、成果、人生、豊かさには

 

 

辿り着けないような条件付きの幸せの世界に対する違和感。

 

 

 

 

特定の条件や前提をクリアしないといけない

 

 

条件付きの幸せの世界というのは非常に冷酷だ。

 

 

 

 

人々の本来最も自然且つ在るべき姿から懸け離れている。

 

 

 

 

だから、理解はできても、気に入らないところがあった。

 

 

 

 

心の奥底から湧いてくる純度の高い喜びを

 

 

無条件の豊かさと安心の中で追いかけていく。

 

 

 

 

その意識だけで、そのたった一つの行為だけで、

 

 

社会に発信されている特定の条件や前提に従わなくても、

 

 

○○という幸せ、目的、成果、人生、豊かさが拡大し続ける。

 

 

 

 

そんな道や世界があっても良いのかもしれない。

 

 

 

 

もし自身にとってのそんな道や世界が用意されているのなら、

 

 

今頃自分はどんな生き方をしているのだろう?

 

 

 

 

そうしたイメージをすることで、

 

 

最も生きやすい人生と繋がれる。

 

 

 

 

どんな光景が思い描かれていくのかな。

 

 

 

 

あっ、ちなみに、今はこんなこともやっています。

http://ameblo.jp/refrain-against/

https://its-a-wonderful-life.themedia.jp/

https://darkness-of-the-mind.themedia.jp




興味があれば、覗いてみて下さい。




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