祖母は書道の師範をやれる程字が上手く、夏休みはいつも書道の宿題を祖母の家に書きに行っていた。
以前、一時帰国中に、大人になってから久しぶりに祖母の前で書き初めをしたら、
「あらぁ、ゆかりちゃんの字は優しくなったわねぇ。昔は、紙からはみ出す程ダイナミックな字を書く子だったのにねぇ。」と言われた。
要するに、大胆不敵な子供だったのだ。
中学では画家のサルバドール・ダリの絵に心奪われて、必死に模写したりした。
思春期だからこその、特有の感覚。
奇抜なもの、不思議なもの、あきらかに気持ちの悪いもの、そういう物への興味、好奇心なのだろうけれど、正直、今考えると何故あんなに心奪われて、好きだと思ったのか、不思議ですらある。
母はクロード・モネが好きで、今の私も、どちらが好きかと言われたら、ダリは面白いけれど、モネが綺麗で好き、と感じる。
教育、文化とはなんだろうか?
本来の私は、紙いっぱいに文字を書くような人間で、突拍子もないモノにこそ心動かされていた人間のはずだ。
そのままエネルギーいっぱいに生きてこれば良かったのに。
何故、ひまわりは百合になろうとしたのだろうか。
それは百合が美しいとされる価値観に染まってしまったからだ。
花は自身を変える事は出来ない。
無理に別の花になろうとすれば枯れるだけだ。
今からでもまだ、私は私に戻れるだろうか?
百合を美しいと感じる私の心は、ひまわりも美しいと感じられるようになるだろうか?
イタリアという国が、教育が、文化が。
「ひまわりはもちろん美しいし、どの花も美しいのだから、ただ精一杯に、自分の花を咲かせれば良い。」
と後押ししてくれているような気がする。
私は生来の私に戻ろうと思うし、今、戻ろうとしている。
ーーーー
P.S.
来年2022年11月にヴィッラバルトロメア劇場にて、オペラ「外套」の公演が行われる予定です!
参加ご希望の方!
詳しい内容はこちらをご覧下さい。↓
前回の『修道女アンジェリカ』の公演の実際の様子です✨(※2021年6月26日に、無観客、オンライン配信させていただいた公演です)
ご応募お考えの方は、是非参考にご覧下さいませ♡