如何に生きるかを追求してきた日々でした。多くの間違いをおかし、迷いながらも学習し、今日に至った訳ですが。
齢、63歳。人生の Closing を迎えた今日この頃、如何に生きるかで無く、如何に死ぬかを考えた時、遣り残した事、やらねば成らぬ事、見えてきたようです。
しかし目に見えて衰えてきた体力・気力、人工透析を受ける事により身体障害者となった今、つくずく健康に配慮してこなかった日々が悔やまれます。
世間のお役に立ちたい、お困りの方々の手助けをと考えた時、自身が手を差し伸べられる立場に成った事、痛恨の極みです。
ただこれまでの人生に悔いは全く有りません。
相対評価でなく、絶対評価で、かなり恵まれた日々を過ごす事できたように思います。
1970年22歳で海外初添乗以来、2001年で添乗業務引退するまで、350回超の海外渡航を経験し、南極を除く五大陸総てに足跡を残し、将に世界を股に架けた充実した日日であった様に思います。
今思うに何よりも、“嫁さん”に負うところが大きく、面と向かっては言えないが、彼女を選んだ事、誇りに思います。
嘗て親父もお袋もよく、言ってたもんです。“お前は大した事できんかったけど、女を見る目は確かやったな”と。
その夫婦で育てた息子・娘は親として満足の行く成長を遂げてくれた事、喜んで居ります。
が、しかし今一つ遣り残した事があります。
2001年9.11同時多発テロにより、25年続いた会社を閉める事により生じた負債返済の日日。
貧乏自慢するつもりは無いが、家族全員に嘗て経験した事の無い“貧乏生活”を強いる事となりました。
これにより皆が、お金に執着するように成ったように思います。
これからの人生での岐路、彼等が判断を間違わないよう願わずには居れません。
つまり、“損か得か”でなく“正しいかそうでないか”で判断してくれる事を強く望みます。
これこそ、人生の終わりを迎えた時、自らの生き方に胸を張れるか否かの大事なポイントである事を知っておいて貰いたい。
権威の失墜した親父からの願いです。
さて、残された日日をゴールに向かって進もう。
総てに於いて現役であり続け、可能な限り人様のお世話に成る事の無いよう、Beautiful Day を生きよう。
7th, March, 2012 / 小西 淑郎