海と山、時々きもの -37ページ目

海と山、時々きもの

ダイビング記録+きもの試行錯誤の覚書。…だったはずなのに最近は山歩きの記録簿と化しつつある。
23年秋から山のない国に滞在中のため山歩き頻度は低下中。

唐突だけど、走るのが嫌いだ。

しんどいことが嫌いなので、人生でしんどいことはできるだけ避けて生きていきたい、と常日頃思っている。

だから、今まで、「登山のために鍛えようと思ったらランニングがいいよ」、と幾ら薦められても、たぶんやることは一生ないな、と思っていた。

 

どうせ鍛えるんだったら山を登って鍛えたい。

山は「しんどい」の先に楽しい道やすかっとする景色がある。

でも、街中をただランニングするだけ、というのは「しんどい」の先にどこまで行っても「しんどい」しかないように思えて、今までやりたくなかった。

 

たぶん絶対へろへろになるし。

ランニングの正しいフォームとかもよくわかんないし。

街中そこら中で見かけるランニングのエキスパートみたいな人達に「あいつあんなおかしなフォームでよたよた走ってやがる~ぷぷっ」って笑われるにきまってるし(被害妄想)。

汗まみれでぜえはあしてるところをあんまり人に見られたくないし(自意識過剰)。。

 

…といろいろあほみたいな理由で躊躇していたけど、先週末の1か月ぶりの運動(大倉ー花立小屋)の後、さすがにやばいと思った。

 

翌日筋肉痛まみれだし、このままだと9月上旬の山行で確実に途中で動けなくなる。。。

 

と思って一念発起して今日、記念すべき人生初のランニングを実施してみた。

昔アメリカにいたときアパートのジムにあったランニングマシンを何回か使ったことあるけど、私のランニング経験といえばそれくらいなので、今日がランニングデビュー日と言って差し支えないだろう。

 

少し早めに会社を切り上げて帰ってごはんを食べながら、この数日何回か見たランニングルートを確認する。

なんかどっかで見た記事で、とりあえず5㎞を目指せばいいと書いてあったから、5㎞走るか。。

〇〇の交差点まで行ってUターンしたらちょうど5㎞くらいかな。。。

なんかもうちょっと長く走ったほうがいい気もするけど、まぁ初めてだし控えめにいくか。

 

などと不遜なことを思い、ネットで買ったランニングベルトに水と携帯を押し込んで、どきどきしながら家を出発した。

いざ、ランニングデビュー。

 

で、走り出してから30秒で思った。

 

すみません、これちょっともう無理かも。。。

 

あれ?走るってこんなにしんどかったっけ?

しんどかったか。。。

知らなかった。覚えてなかった。もう20年近く走ったりしてないから。。。

 

開始30秒でよろよろぜえはあし始め、数分たつころには「今日もうこれで切り上げようかな」と考え始めた。

 

もう歩いたほうが早いんじゃないかくらいのスピードでぜえぜえ言いながら走っていたので、もしかしたらすれ違う人に奇異な目で見られたかもしれない。。。

まぁ別にいいけど。

そのための夜のランニング、そのための帽子。

 

数分でUターンするのはさすがに思いとどまり、信号以外では止まらないよう頑張ったけど、当初予定していた折り返し地点まで行ける訳もなく、そのずっと手前でUターンしてへろへろになりながら家にたどり着いた。

 

なんかもう気分的に1時間くらい走り続けた気がする。。。顔めっちゃ赤いし。汗がナイアガラだし。くらくらする。。。

 

しかし時計のログは御覧の通り。

 

3㎞て・・・

 

たったの20分て。。。

 

まぁでもそうだよな。

私は何を思いあがってたのだろう。。。

平常時でも山でもすぐバテるヘタレ野郎が病み上がり久しぶりの運動で人並みの距離が走れるはずなかろうに。。。

 

3㎞でこんな死にそうになってたら5㎞なんて走れるようになるのはいつになることやら。。

ていうかその前に、目的である9月の山行まで後10日しかないんですけど、こんなんで大丈夫かな。。。

 

しばらくへこんだ後、色々と時計のログをチェックしてみたけど、興味深かった。

というか、何を書いてるのかわからなくて、ググりながら見てたけど、勉強になった。

 

右側に出ているのが心拍数。

 

色々みると、たぶんこの160というのはあまりよくない様子。

 

年齢に応じて決まる最高心拍数、というのがあって、計算式は220ー年齢とか、210ー(年齢×0.65)とか色々あるようだけど、この最高心拍数に対して、運動の種類によって理想の心拍数、というのが決まるらしい。

たぶんこのケイデンスというのがそれ。【追記】よくよく調べると、ケイデンスというのは足の回転数のことらしいので心拍は関係ない模様。

 

私の最高心拍数は、220ー40=180。

「ちょっときつめの運動」は最高心拍数×6,7割が理想だそうなので、理想は108~126までに抑える、ということになるのだろうか。

しかしほんと、「きつめの運動」というには憚られる歩くほうが早いくらいのスピードで走ってたんだけど。。。というかだからこそSUUNTOは私の移動スピードから無情に自動計算してケイデンス78(=最高心拍数の6割未満は「楽な運動」らしい)って設定したのでは。。。【追記】上に追記した通りケイデンスと心拍は関係ない様子。お恥ずかしい。

 

しかしいずれにせよ理想78あるいは理想126以下に対して、これ(常時160)って。。。

 

私の心肺機能がカスッカスってことで良いですか?

 

まぁ、知ってたけど。

 

今度の山行大丈夫かな。。。不安しかない。

 

今回祖父母の家に帰省した最大の目的は伯父伯母と従姉や妹たちに会うことだったけど、2番目の目的は祖父母の家を見ることだった。

 

今年伯母たちが祖父母の家をリフォームしたらしく、従姉に送ってもらった写真を見てちょっと衝撃を受けた。

写真に写っていたのは、「古民家風カフェ」として雑誌に紹介されててもおかしくなさそうな、こじゃれた内装だった。

 

前回、「祖父母の家周辺は私にとってワンダーランドだった」と書いたけど、祖父母の家自体も私にとってはわくわく(一部恐怖)する家だった。

たぶん昔の家としては普通の作りだったんだと思うけど、子供の頃の私にとって色々衝撃なことがあった。

 

衝撃度第2位は、台所+ダイニングが玄関の横にあり靴を履いたまま食事をすることだった。

今思えばあれは「勝手口」であり、土間であって、土間に煮炊きする場所があるのは昔の家としては普通の作りだと思うけど。

子供の私は自分の実家含め田の字型マンションしか知らず、玄関あげて靴を脱ぎ長い廊下を抜けてダイニング&リビング、という景色しか見ていなかったので、玄関明けて即冷蔵庫+テーブル、という光景は斬新に見えた。

 

でもたぶんそれより圧倒的に衝撃度1位だったのは、お風呂とトイレが外にあったこと、さらにお風呂が薪で沸かす形式だったことだと思う。

勝手口を開けたら斜め向かいにお風呂、さらにそれを横手に回ったところにトイレ(もちろん和式)があった。

「お風呂を薪で沸かす」といっても五右衛門ぶろではなく、お風呂小屋に入ると普通に洗面台があってその先にお風呂場があり、蛇口をひねって水やお湯を出す形式。

ただ、お風呂の脇には、なんて言ったらいいのか、小さなドラム缶を横にしたような薪をくべる場所があり、ドラム缶の上に出ている配管がお風呂の中に入るようになっていた(のだと思う)。たぶん、薪ボイラー、で検索するといくつか似たようなのを見つけることができるので、それだったのだと思う。

 

子供にとって火はわくわくのトップ5に入ると勝手に思ってるけど、私にとってこの薪をくべさせてもらう、というのは祖父母の家で虫取りと並んで最高にわくわくする出来事だった。

積んである薪だけでなくて、近くで拾った枝とか葉っぱとかとりあえず燃やしてみたいものを何でも放り込んだし、薪がパチパチ爆ぜる音を聞いているのはとっても楽しかった。

 

が、お風呂の外がわくわくスペースだったのとは反対に、お風呂の中は恐怖スペースだった。祖父と一緒に入るのは楽しかったけど、お風呂場の手前の洗面台で、ある時巨大グモ(今思えばアシダカグモ)を発見してからは、そこは恐怖スペースになった。

 

同じくトイレも怖かった。

いったん外に出てから、家からの明かりはあるとはいえ真っ暗な中、横手に回って和式(かつ、ぼっとん形式)のトイレに行く、というのはチキンハートの持ち主にとっては恐怖体験以外の何物でもなく必ず大人についてきてもらった。

私が小学校高学年だった頃だと思うけど、「あなたたちがあんまり怖がるから」と言って祖父母の家の中にトイレ(和式)ができて、申し訳ない気持ちになったけど正直ほっとした。

 

その後、たぶん祖父母が高齢になったからだと思うけど、お風呂&トイレ(洋式)は母屋を増設して取り付けられて外のお風呂&トイレはなくなってしまった。

他にも、納屋に隣接していた鶏小屋がなくなったり、納屋が納屋兼車庫になったり…色んな小さな変化があったけど、今回のリフォームは結構おおきなものだった。

 

勝手口の曇りガラスと土間と土間の大きな棚は一緒だったけど、その先ががらっと違う。

 

随分おしゃれになった。。。

 

柱はたぶん昔からのものを再利用していて、こういうのを見るとちょっと懐かしい。

 

記憶にあったものがもうない、というのは少し寂しいけど、新しい居間はほんとに素敵だったし、生まれ変わった祖父母の家を見ることができてよかった。

たぶんどんなものでも一緒だと思うけど、少しずつ補修しながら長く使ってもらったほうがきっと家も嬉しいだろう。

 

 

今日はコロナから回復してから初めて山に登った。

 

昨日は準備をしながら相当どきどきしていた。

会津駒から約1か月ぶりの登山。

しかも、その1か月のうち前半2週間は、部屋から1歩も出なかったし、後半も1日母の実家に帰省したほかは家と会社の往復だけ。

通勤時間における総歩行時間ってたぶん10分もない。

たぶん筋力とか消失してる気がして焦ってた。

9月前半に結構ハードな山行を入れてて、今のままじゃとてもじゃないけど登れそうにないのも焦る理由の一つ。

 

場所は勝手知ったる塔ノ岳大倉尾根にした。

この前登ったときはあまりの暑さにへろへろになり、花立山荘まで3時間もかかり、そこで挫折して降りてきたんだった。

今日はできれば山頂までいきたい。気温はこの前より3~4度ほど低いようだし、すこしは風もある予報だし。

…とはいえ、27度というけして登山フレンドリーじゃない気温の中果たして登ることができるのか。。。

今日は時間制限があるのもちょっと痛い。夕方予定があるので遅くとも11時半には降りようと決めていたけど、それまでに頂上にたどり着けるのだろうか。

 

どきどきしながらスタートしたけど、しょっぱなから息切れして絶望した。

この前ほどじゃないとはいえ汗が滝のように流れ落ちてくるし50人くらいに抜かされた気がするし、頭がくらくらしてもう、観音茶屋にすらたどり着けないんじゃないかと思った。

ぜえはあしすぎて脇腹痛くなったし。

 

左手で脇腹を抑えつつ、右手で携帯扇風機の風を首にあてながら登ってたら、堀山の家のあたりから尾根筋は少し風が通り抜けるようになってだいぶ回復した。

 

これはどこだったかな。。。なんかきれいな花。

 

というのが私の写真では1ミリも伝わらないと思うけど、この鮮やかな黄色い花が花畑みたいに咲いているエリアがあってとてもきれいだった。

 

堀山の家を過ぎても相変わらずぜえはあしながら亀の歩みで汗だくで登ってたけど、やっぱりこの前よりは少し余裕があって、こんな花の写真を撮ったりすることもできた。

 

花立山荘までのこの階段を気力を振り絞って登って、出発から2時間40分後、花立山荘着。

 

富士は見えない。まぁ知ってた。

 

汗びしょではあはあしているけど、この前よりは余裕がある。

時間もまぁ、1時間もあれば頂上着くだろうから11時半というリミットには間に合う。

だから、頂上に行くしかないでしょ。

 

…と思ってたのに…

 

無事、誘惑に負けた。

 

(富士山が見えないとか暑いとかいってないで、リハビリ登山なんだから厳しい状況下で登ってこそでしょ)、という真面目な私と、(もう十分頑張ったよ。ほら、時間も厳しいしさ、暑いしさ、病み上がりだしさ)という自堕落適当甘々人間の私(本体)が激突したけど、後者の圧勝だった。

 

というわけで花立山荘でのんびり30分ほど過ごしてから、下山した。

かき氷のおかげか、それとも風が結構強まったせいか、休憩中途中で寒くなってソフトシェルをはおった。

 

待っている間に、ちらっと富士山の一部が見えた。

あと、横の人たちの「あ、鹿だ」の声に見てみたら、久しぶりに鹿をみた。

頭かくして尻隠さず。

お尻が白くてふさふさでかわいい。まだ子供?

 

十分休憩した後、続々と山頂へ向かう登山者をしりめにのんびり下山開始。

 

観音茶屋で牛乳プリンを食してから下山。

 

かき氷に鹿のおしりにプリンに。。。と大満足な山行だった。

 

本来の目的のリハビリ登山としては失敗だけど。

 

…こうやって自分を甘やかしてばかりだから私はダメなんだろうな。。。

 

でも、久しぶりに登って、やっぱり山を登るのは楽しい、と思った。

早くもっと涼しくなって虫もいなくなってくれないかな。。。そしたら色々登りに行きたい。

今週は、数年ぶりに祖父母の家に行く予定だった。

「祖父母の家」というものの、祖父母はもう亡くなっており、今は同じ敷地内の別の家に伯父夫婦が住んでいる。

夏休みで、従姉+従姉の子、妹+姪っこが祖父母の家に帰るところに私も混ぜてもらう予定だった。

 

…だったところコロナにかかってしまったので、先週療養は明けたとはいえ、ものすごく迷った。

何しろ感染者数は爆発してるし、よそ者がすぐわかるような場所で、東京からの人間なんて歓迎されないかもしれない。

伯父夫婦は「来たら?」、母は「検査陰性なら行けば?」、従姉+妹は「検査陰性ならいいんじゃない?」とのことだったけど、そりゃ「来ないで」とは言えないだろう。

療養期間明けたら本当に人に感染させないのかも、めちゃめちゃ不安だった。

 

が、色々検索しまくり悩みまくった結果、抗原検査して陰性だったら行くことにした。

色々悩んで自分を正当化したけど、要するに行きたいという欲望に負けただけの気もする。。。

 

祖父母が亡くなって以来、もう長いこと伯父伯母に会っていない。

そこが実家である従姉や、従姉の子と自分の子を遊ばせる目的のある妹とは違って、うまく言えないけど私は一人ではそこに行く正当な理由がない気がしていた。

 

伯父伯母だって、娘やちびっこギャング達が帰ってくるならうれしいと思うけど、アラフォーの姪が一人で訪ねてきたって応対に困るだろうし。

従姉たちに便乗できるこの機会を逃したらまた数年会えない気がしていた。

 

…というわけで行ってしまった。

 

祖父母の家が大好きなので、少し歩きたくてちょっと離れたところでタクシーから降りた。

後ろめたい思いを抱えつつ、久しぶりの景色を見て胸がいっぱい。

 

小さいころは夏休みになるたびに母に連れられて祖父母の家に帰省し、毎日この田んぼの中のあぜ道を、虫取り網を抱えて走り回っていた。

 

農家である祖父母の家周辺は私にとっては遊園地並みにわくわくする場所だった。

昔は今よりももう少し整備されていなくて、舗装されていない小さな川が流れていて、そこでしじみが取れるような場所だった。

家の横にあるさらに小さな川にはドジョウもいた。

 

こちらは昔からある田んぼの中の用水路。

 

昔ここで小さなナマズを取ったことがあった。

図鑑以外でナマズを見たのは初めてだったので、大興奮してバケツに入れて祖父母の家に飛んで帰って、台所にいた祖父に見せた。

私は夏の滞在中、そのナマズをペットにする気満々だったので、水槽的なものを探しに納屋に向かった。

 

そして、台所に帰ってきた私が見たのは、まな板に載せられたナマズちゃんがちょうど祖父に包丁で首をちょん切られた場面だった。

 

号泣した。

 

私にとってナマズはペットだったけど、祖父にとっては食料だった。

 

激怒&号泣して家を飛び出したものの、知らない場所で行く当てがあるわけでもなく、しばらく納屋の裏でうぐうぐ泣いた後に、従兄が迎えに来て母屋に帰った。で、泣きながらナマズを食べた記憶がある。

 

従姉兄達から、祖父はビニールハウスに迷い込んできた鳩や鳥をむしって焼いて食べる、家の横の川にいるドジョウも取って食べる、と聞いていたけど、まさかナマズまで食料になるとは想像していなかった。

祖父母の家の記憶の中でもこれは一番目か二番目にインパクトの大きい記憶。

 

でもそれもひっくるめて、小さい頃の私にとって祖父母の家とその周辺はワンダーランドだった。

 

私という人間の7割は根暗引きこもり成分で構成されているけど、残り3割の海や山好き成分は、たぶん小さい頃のこの経験によって作られたものだと思う。

【発症1日目続き】

 

抗原検査で陽性になったことを会社に報告した後は、とりあえず医者にかかろうかと思って、区の診療所リストにとりあえず片っ端から電話した。

PCR検査を受けたい、というとどこもいっぱいだったけど、6件目くらいで受け付けてくれるところに出会えた。

曰く、抗原検査で陽性になったということはもう陽性なのでPCRの必要はない。電話の問診だけで診療できる、ただし本日中はもういっぱいで難しい可能性があるので明日になるかもしれない、と。

なるほど、そんな便利なシステムが。

 

とりあえず出〇館で2リットルのポカリを4本とアイスを大量に買って置き配を頼んでから少しリモートで仕事をしたけど、夕方になってくるとなんかだんだん熱が上がってきた気がした。

測ると、37.5℃。

とりあえずロキソニンと、トランサミン250mgを飲んで布団に入った。

 

【発症2日目】

2日目の朝に月曜日に予約した病院から電話かかってきて目が覚めた。

電話で簡単な問診をして診療終了。

これで病院から区に陽性者報告が行って、私は陽性者1としてカウントされるらしい。

電話診療で薬も出るとのことで、処方箋をメールか何かで送ってもらってそれで薬局に行くのかな、と思ったら、病院から薬局に処方箋をFaxで送って薬局からうちに届けてもらえるとのこと。至れり尽くせりで感謝。

支払いはどうするのかと思ってたら、コロナ陽性と診断されたら受診料や薬代は無料とのこと。え、すごい。。。感謝。

カロナール(解熱)、トラネキサム酸(喉の炎症を抑える)、フスコデ(咳止め)をもらう。薬は薬局の人が夕方に届けてくれた。感謝。

 

【追記】電話診療でコロナについて処方箋まで出せるのは、この病院が特殊だからかもしれない。他の病院で同じことができるのかは、確認しなかったのでわからない。なお、この病院に関しては、電話診療のためにはオンラインで診療を申し込む手続きが必要だった。

 

【発症2日目~4日目】

2日目の夜から熱があがってきて、なんか、2~4日目くらいはほとんど寝られなかった記憶がある。

喉が、唾を飲み込むのも痛い程に痛くなって、咳も結構出た。痰も結構からんでつらい。

でも、不思議なことに鼻水の症状は全くなかった。

熱は38度を超えることはなかったけど、普段そんな熱を出さないのでしんどいことこの上ない。

薬を飲むと一時的に熱は下がるけど、時間経過とともにまた38℃に戻ることが続いた。

掛け布団が湿るくらいに汗をかく、という、たぶん少なくとも大人になってからは初めての経験をした。

この4日目くらいまでは、「主食:ポカリ」みたいな状態で1日1食そうめんをゆでる以外はものが食べられなかった。

あと、2日目くらいからだったと思うけど、区から自宅療養の人向けの症状入力サイトのアドレスみたいなのが送られてきたけど、あまりにしんどくて入力できたのは5日目くらいになってからだった。すみません。

 

【発症5日目~現在】

5日目になるとカロナールを飲まなくても熱はあがらないようになったし喉の痛みもなくなったけど、起きて椅子に座っていられるようになったのは6日目くらいからだった気がする。

自分でも引くくらい食欲がなくなった。

6日目くらいからはちょっと食欲出て、出〇館でタピオカ頼んだりできたけど、なんか、おなかはすくんだけど何を食べていいのかわからない状態に陥った。

あと、あれな話で恐縮だけど、食べるたびにおなかを壊した。

コロナのせいなのか薬の副作用なのかそれとも別のものなのかよくわからない。薬を飲まなくなってもおなかを壊すことが続いたので、コロナのせいな気もする。。。

発症11日目の今日、初めて、食事の後おなかを壊さなかったので、やっぱあれはコロナのせいだったのかな。。。

 

今はもうコロナの症状といえるものはほぼ残っていない。熱もないし喉も痛くない。

ただ唯一、それっぽいかなと思うのは、未だに痰が絡む。

 

この11日間、置き配を取るために扉を開ける以外、部屋から一歩も出なかった。

ゴミ袋が2つ溜まっていて捨てたくて発狂しそうだけど、我慢している。

友達に何回かラインしたり、親と電話で話したり、というのはあるけど、人と直接話してもいない(電話診療除く)。

 

…そして、何となく予想はしていたけど、この11日間の完全引きこもり生活で、確信したことがある。

 

私、一生この部屋で誰とも話さず一人過ごしても超幸せに生きていける。

 

ネットさえあれば、という但し書きがつくけど。

 

最初の1週間は体調的な意味でしんどかったけど、別にそれで心細くなったりもしなかったし人と話したい、みたいな人恋しい感情は全くわいてこなかったし、出〇館さえあれば食事には不自由しないし。。。

 

この11日間、大変に心穏やかに過ごせた。。。さようなら、私の心の平穏。。。

明日から会社に行かなきゃいけないことに、ちょっと絶望している。。。