7月30日は、日本人にとっての、魂の独立記念日
https://www.youtube.com/watch?v=nGVCiPKg_40
https://www.youtube.com/watch?v=gIi7KtTfIEU
明日は、都知事選。
メディアは、主要3候補しか報道しない。
メディアは、巨大権力を持ったキングメーカーでもある。
メディアが、都知事をつくるはず。
しかし、この構図は、インターネットによって崩れかけている。
志ある有権者は、インターネットで、3候補以外の主張に耳を傾ける。
政治は、ある意味、熱狂である。
演説のテクニックのある候補の言葉に、聴衆は引き込まれていく。
その熱狂が、都知事を生み出すことがありえる。
これは、いうなれば、一つの革命である。
その革命を起こすかもしれない人物が、桜井氏である。
彼の最後の演説には、一千人に達する聴衆が集まった。
この聴衆は、組織的に動員されたものではなく、自らの意思で、集まった聴衆である。
桜井氏の演説に集まる聴衆の多さに主要3候補は恐怖を覚えている。
その証拠に共産党は、桜井氏の選挙演説の妨害をした。
彼は、最後の演説の最後に、『7月30日は、日本人にとっての、魂の独立記念日』と言った。
ウィンドーズ10は、ユーザーのPC内の情報を抜き取っている
ウィンドーズ10への無償アップデートが今夜の12時で終わりになる。
ウィンドーズ10にアップデートすると、不具合が起こるので、アップテートをキャンセルした。
海外では、自動的にアップデートされたということで訴訟も起った。
アップデートをキャンセルしたはずだか、いまだに、無償アップデートの期限までのカウントダウンが続いている。
このカウントダウンが0になった時に、何が起こるのか。
自動的にアップグレードされてしまうのではないかと心配する。
日本時間では本日の午後12時がリミットであるが、米国のハワイ時間だと、日本時間の30日の午後8時頃がリミットになる。
明日の朝には、自動的に、ウィンドーズ10になっいるのではないかと心配する。
ウィンドーズ10は、ユーザーのPC内の情報を抜き取っている。
ウィンドーズ8.1でもユーザーの情報が抜き取られているのだが、ウィンドーズ10ではさらに、情報の抜き出しが強化されている。
個人のメールが盗まれているとかそういうレベルではなくて、個人の情報のすべてが、PCから盗まれる、超監視社会のネットワークがすでに出来上がっている。
自殺とテロは違う
2014年3月に起きた、マレーシア機の行方不明事件は、機長の自殺説が浮上してきた。
自殺というのは、自分の意思で自分だけが死ぬこと自殺という。
自分の配偶者、家族、あるいは、男女の仲にある人々が一緒に、死ぬのは心中という。
自分とは関係のない多くの人を巻き込んで死ぬのは、自殺ではない。
テロである。
障害者施設で戦後最悪の惨殺事件を起こした犯人にしても、犯罪者は、身勝手で、我儘である。
障害者施設の事件の犯人がすべての傷害者をこの世から消すことはできない。
しかし、自分を消すことは簡単である。
自分がこの世から消えれば、障害者は生きる価値がないなどと、悩む必要もなくなる。
言葉が人を殺す
生きる価値がない。人間ではないと言って、サイコパスが、障害者を19名も惨殺した。
惨殺した本人の方こそが生きる価値がない。
生きる価値がないからといって、実際に行動して、殺害することは狂気である。
実際に行動して、殺害しなくても、言葉で殺害することもできる。
『生きる価値がない』などと言う言葉は絶対に、誰に対しても言ってはいけない。
その言葉は、人の人格、存在そものものを否定してしまうものである。
言った方は、その言葉を忘れてしまうかもしれないが、言われた方は、生涯忘れることはない。
そして、言った相手に対して、復讐することばかり考える。
実際に行動に移す場合もある。
身体の傷は消えるかも知れないが、一度口から出た言葉は永遠に消えない。
言葉が人を殺す。
狂人のレベルの桁が違う事件
日本が安全な国、テロが起こらない国という幻想は捨て去るべき。
相模原の知的障害施設で、虐殺事件が起きた。
19人もの人間が、たった1人のサイコパスによって虐殺された。
日本の場合は、銃は使わない。
刃物を使う。
平成になってから、一度に、これほどの多人数の人間が虐殺された事件はなかった。
これは、ただの事件ではなく、大量虐殺テロである。
これまでに、サイコバスがいくつかの事件を起こしてきた。
車で、人の列に突っ込む。
通り魔的に、刃物で、複数の人間を刺す。
その程度のサイコパスの起こす事件は、常人が理解できる範囲にあったが、今回の事件は、サイコパス、つまり、狂人のレベルの桁が違う。
知的障害者は人間ではないから、数百人を殺害すると、犯人の狂人は決意していたらしい。
こういう狂人は、実は、ごく普通の人の顔をしている。
隣に、狂人がいても、正常な人間との区別がつかない。