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PLAY CATCH!―Fs38まとめブログ

Fs38武田勝の関連情報保管ブログです。

■2006年09月08日 「W武田」の存在感

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■2007年07月30日 “彼”だけ性格、考え方がつかめない

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■2007年11月25日 厳しい現実

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■2008年03月27日 レ軍岡島と同日勝利に勝ニッコリ

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 武田勝が今季初先発で白星を挙げた25日夜、06年に日本ハムに在籍していた岡島から電話がかかってきたという。米大リーグ・レッドソックスの一員として来日していた元チームメートは、日本開催となったアスレチックスとの開幕戦でリリーフ登板し、勝利投手になっていた。2年前は同じ中継ぎ左腕として苦労を分かち合い、リーグ優勝、日本一に大きく貢献した。武田勝はそんな友人との会話を振り返り「『同じ日に勝利投手になって良かった。これで気持ち良く帰れる』と言っていました」と教えてくれた。住む場所は遠く離れても、野球が取り持つきずなは固い。(榎)


■2008年07月02日 卓球でも復活 元大関・武田勝

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 試合前のロッカールーム。左手親指を骨折していた武田勝が久々の卓球を楽しんだ。けがをする前はチーム内ランキング上位の「大関」まで上り詰めた腕前。ラケットを握る手にも力が入り、真剣勝負を展開したが「指は問題なかった。大丈夫ですよ」と、さわやかに語った。ただ、ランキングボードを見ると、名前のプレートが「放牧」の欄に配置されていた。確かに故障したサラブレッドは放牧に移されるが…。「ぼく、ランク外になっていました。でも、取りあえず、紺田には勝ちましたけどね」。投球同様、多少のブランクは関係なし。元大関の意地で、成長株を差し切った。(榎)


■2009年2月07日 武田勝投手の「面白話」

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■2010年5月11日 不屈の左腕武田勝に期待

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■2010年6月23日付け


PLAY CATCH!


ttp://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100623-644660.html

日本ハム武田勝投手(31)が、プロ5年目での初完封勝利を無四球で飾った。ソフトバンク打線を相手に7安打7奪三振で5勝目をマークし、チームを今季2度目の4連勝に導いた。打線も先制、中押し、ダメ押しと理想的な試合運びで、リーグ戦再開後は負けなし。5位楽天との差は0・5ゲームに縮まり、最下位脱出が見えてきた。

 せっかくの初体験は、どことなく締まりがなかった。武田勝がプロ入り5年目での初完封勝利。最後の打者森本を三振に仕留めたが、低めの投球だったため捕手の大野がボールをはじき、一塁に転送してからゲームセット。「三振かどうかもよくわからなくて…。(きっちり三振だったら)もうちょっとアクションもできたのに。みんなもマウンドに寄ってきていたし、“自分の時間”がなかった」。ガッツポーズのない、控えめなフィナーレに、複雑な笑顔を見せた。

 歓喜の輪の中で淡々としていた試合後同様、マウンド上でも常に冷静だった。5回8四死球で降板した相手先発の小椋とは対照的に、抜群の制球でアウトの山を積み上げた。3ボールまでいったのも4回のオーティズの打席だけ。「普段使わないような配球でいきました。チェンジアップは右打者には外、左打者にはちょっとひっかける感じで。投げ分けがしっかりできました」。これまでと攻め方を変えて、相手打者を翻弄(ほんろう)した。三塁を踏ませることもなかった。

 前回から中7日でのマウンド。開幕からローテを守るが、登板間隔がまちまちで調整は難しい。さらにデーゲーム登板が多く、週の大半をナイターでの練習で過ごすため、不規則な就寝時間にも悩んだ。だが「チーム戦略があるので、言われたところで投げるだけ」と泣き言を吐くことはない。この日も味方の攻撃が長くなるとブルペンへ移動して投球練習を行い、体を冷やさないよう工夫した。「少しでも投げるようにしたので、全然影響がなかった」。困難にぶつかっても悲観せずに向き合うことで、乗り越えてきた。

 チームは今季2度目の4連勝で、5位楽天に0・5ゲーム差。3月27日以来、3カ月ぶりの単独最下位脱出が目前に迫った。梨田監督は「非常にいい投球だった。低めにていねいに放れていた」と絶賛。ダルビッシュ、ケッペルとともに先発陣を支える屋台骨が、がっちりとバトンをつなげた。


ttp://hochi.yomiuri.co.jp/baseball/npb/news/20100623-OHT1T00045.htm
派手なガッツポーズもない。プロ5年目での初完封にも武田勝らしく淡々としていた。「意識しないで丁寧に投げた結果」と言う謙虚さで、チームを今季2度目の4連勝へ導いた。

 大好きなサッカー日本代表へのお手本のような投球だ。身長は176センチと野球選手としては小柄で、最速も130キロ台前半。この日は試合前に捕手の大野と相談し、普段は使わない左打者へのチェンジアップがさえた。「幅が広がった」。左腕は的を絞らせず無四球、109球で鷹料理。今季ソフトバンク戦は3戦2勝、防御率は0・44と相性は抜群だ。

 小学校までサッカーをやっていたこともあり、岡田ジャパンの試合は必ずテレビ観戦。前日(21日)には「僕も日本も先制点を与えないこと」と力説。「向かっていく気持ちを忘れないで投げた」というこの日は、デンマーク戦を控える日本代表に戦い方を示したマウンドだった。

■2010年1月1日 読売新聞紙面

<日本ハムの投手 武田勝さん 31>

 小学校4年で軟式野球を始めましたが、野球への思い入れが強くなったのは、名古屋市立浄心中に入ってからです。何しろ野球部顧問の小川勉先生が熱心で、午前7時からの朝練には必ず顔を出し、ノックを打ったり打撃投手を務めたりしてくれました。

 実は、中学2年から3年にかけて、両親の離婚問題を抱えていました。進路を決めなければいけないのに、先行きが不安で仕方がありませんでした。そんな時、担任でもないのに家に泊めて、相談に乗ってくれたのが小川先生でした。「困ったことがあったら、どんなささいなことでも言ってくれ」と心配してくれて、先生の家から一緒に登校したこともありました。

 先生と出会うまでは<お山の大将>で野球をやっていましたが、「野球は自分のことだけを考えずに相手のことを思いやる気配りのスポーツだ」と繰り返し言われ、意識が変わりました。中学でそのことに気付き、周りを見てプレーできていることが今につながっていると思います。

 名古屋市の大会で優勝し、勝つ喜びを教えてくれてのも小川先生でした。今でも年に1回は食事に行きます。感謝の気持ちを込めて、1年でも長くプレーしたいですね。



■2010年5月23日付け

ttp://www.hokkaido-np.co.jp/news/fighters/232903_all.html

首脳陣に信頼されたことが、何よりも力になった。

 日本ハムの武田勝は今季最長となる8回を投げ、1失点。お立ち台に上がり、「(8回は)久しぶりだったので心地よい疲れです」と晴れやかな口調で話した。

 初回こそ1点を献上したものの、丁寧に低めを突き、二~五回はいずれも三者凡退に抑えた。自ら「ポイント」と話す中盤の六回。2死一塁から3番内川に四球を出したところで、島☆投手コーチがマウンドに駆け寄った。交代を覚悟した武田が言われたのは、「次も任せたぞ」。「次のバッターで勝負できる自信はあった。気持ちが入り、喜びを感じながら投げた」。落ち着いて4番村田を三ゴロに打ち取り、そのまま八回までマウンドを守り続けた。

 この日の力投に、島崎投手コーチは「ダルビッシュで負けた翌日で、プレッシャーは相当きつかったはず。その中で、八回まで投げられたのはかなりの収穫」と褒めた。

 「今日は信じて使ってくれたので、自信になった」。飾らない言葉の一つ一つが、喜びを表していた。(佐藤大吾)



■2010年6月7日付け

ttp://www.nikkansports.com/baseball/news/p-bb-tp0-20100607-638728.html

横浜の西日を浴び、軽く両腕を突き上げた。冷静沈着な日本ハム武田勝投手(31)が、珍しく感情を高ぶらせた。下園を遊飛に打ち取り、チームの連敗を5で止める1失点無四球完投ショーが完結した。「1つずつアウトを取っていくことだけ考えた」。一人で110球で、27個のアウトを積み上げた。ハマスタからの帰路。購入したばかりの高級国産車で待っていた陽子夫人とともに充実の仕事場を後にした。

 我慢比べに耐えた。5回には村田に低めチェンジアップを拾われ、同点被弾した。「とりあえず1回、1回と思って」とリセット。横浜加賀との投げ合い。シュートでカウントを稼ぎ、勝負球をミスなく内外角へ散らした。8回の決勝点まで、じっと待った。

 交流戦登板4試合で負けなしの自身3連勝とエンジンがかかった。開幕から要所での失点を重ね、早期降板の連続。表情には見せず、周囲へはグチも弱音も吐かなかったが、強く期する思いがあった。

「僕だって人間ですからね…」多くは語らないが、傷ついたプライドを取り戻すための反骨心。本来の姿へと変身するきっかけになった。

苦しむ姿に、周囲からの見えないサポートも受けた。バッテリーを組み決勝打を放った大野にこの日、金子誠が攻守交代などのたび駆け寄り「マサルのことは長く見ている。オレの見方を伝えている」と耳打ちし、リードのヒントを伝達している。もがく左腕の必死の姿勢が、全員野球へ導く求心力になった。

 中継ぎ陣をほぼ総動員しながら巨人に連敗。梨田監督は「ありがたかった」と感謝した。武田勝の洗練された心技体が、再反攻の力を注入した。【高山通史】