毎年ブログ書いてるから重複してる内容。だけど今年も書こう。
1年1年前に進んでる証として。
あれから20年。全米を震撼させた事件から20thアニバーサリー。
今日は晴れて暖かいな。
あの日は晴れては居たが冷たい風が印象的だったな。もう記憶も定かではなくなってきたのかな。
あれは20年前の今日、3月12日の朝の出来事だった。
当時母上と暮らしていた俺。
家電のベルが鳴り母親がでた。
「え?うそっ。」的なワードが聞こえてきたが、ハッキリとは聞き取れなかった。
だが俺はこの時めっちゃ嫌な予感がした。
そして電話を切った母上はすぐ俺の部屋のドアを開けて、開口1番
「トシ(父上の呼び名)が自殺したって」
俺の嫌な予感は的中した。
俺は仕事を休んで母上と遺体が安置されてる警察署に行った。
警察署に着き、霊暗所に行くとそこには横たわってる父上がいた。
少し肌の感じや頭皮の感じなどに違和感はあったが見た目はいたって綺麗だった。
車に排気ガスを引き込みそして練炭を炊く自殺であったからだ。
俺は当時よく親戚のおばさんの家でご飯を食べてた。その時よく父上も来てご飯を食べていた。顔を合わせるたび死にたいとか、薬、沢山飲んだけど気持ち悪いだけで死ねなかったとか笑いながら明るく言っていた。
本当に死ぬやつはすぐ死んじまうんだよと俺は思っていた。
でもそれはある日現実のものとなった。
いつものように親戚のおばさんちにご飯を食べに行ってたら、しばらくトシ(父上の呼び名)が来てないから心配だから見てきてよって言われて。
だりーなーと思いつつ、車で15分弱にある父上の家に向かってみた。うっすら電気はついていた。ピンポン鳴らすが反応なし。反応あったのは当時飼っていたあぬのポメラニアンだけであった。
あー、居ないんだなと思い自宅に帰ることにした。この時の時間確か夜11時2〜30分くらいだったと思う。
平成15年3月11日午後11時半位。
この段階ですでに覚悟を決めて家に居なかったんだよな。
どんな気持ちだったのかな。
今日俺は母上と墓参りに行ってきた。
墓参りと言ってもめっちゃ近い。車で20分くらいかな?
やっぱり墓参りはいいな。心が穏やかになる。
ご先祖様に会いに行く時は、「頑張っているのでこれからも見守っててください」とは言わず、「俺は大丈夫だから心配しないで安らかにな…」って前向きに伝えてる!
じゃないと心配でご先祖さまもあっちの世界に行けないぜ!!
とにかくさ、自分はこの世に生まれてきた限り何かやりたい事、理由があるんだよな。
本当はどんな困難なこともその時の自分に乗り越えられない事は起きないんだ。
人間はそう言うゲームをしてるんだよ。
俺はゲームをしてると思って生きるようにしてる。
例えばディズニーランドというテーマパークに行ったら、あれも乗りたいこれも乗りたいってなるじゃん?
ジェットコースター的なのから穏やかのまで。好き好んで色々なものやってるじゃん!
それと一緒だよ!
地球と言うテーマパークに人体という体に魂が乗り込んで遊びにきてるんだよ。
自分の体を使って色々なことを体感しにきてるんだ!だから無駄なこと嫌なことも全て経験。
どう捉えるかによって全く変わったテーマパーク、そして乗り物に変わってしまうんだよ。
もう少し気楽に行こうぜ人生!!
生まれてきた時はみんな嬉し涙で迎えるのに、死ぬ時は悲し涙になっちまうんだぜ?
残された方の身にもなってみろよ。
特に自殺はダメだ。苦しい事があるなら誰かに相談しろ。
身近にいないならこれを書いてる俺に相談しろ。
こんな俺でも明るくアホみたいに生きてるんだから大丈夫だから!!
俺はもうこの出来事を引きずってる訳じゃないし、可哀想なんて思われたくもないから気にしないでくれな!
なんてったって20th anniversaryなんですから!
ここまで読んでくれてありがとう!
長文乱文失礼しました!
PS…俺が死んだ時はBGMをエレクトリカルパレードにしてくれな(笑)
夜露死苦❤️
令和5年(2023)3月12日。