捨てられない、捨てられないっていうけど
実際具体的には何が家の中にあるのか。
一般的に捨てられないものの
上位に位置すると思われるもの・食器。
我が家にもたくさんあります。
結婚式などの引き出物や景品、
調理器具、タッパ、
法事や飲み会のためのお客様用食器。
多いもので20客ずつくらい。
父、母の代までは
・法事
・伊勢講
・行事、行事の打ち上げ
・役員をしたらそのOB会
などがあり、それは家庭でやるのが普通でした。
その他にも「なんとなく」集まって飲んだり。
親戚の数や集まりの規模などによっては、
20客ずつくらいな我が家はまだかわいい方みたいだけど。
時々押し入れを開けて、
まだ箱から出してもいない食器を眺め
「わー素敵!こんな食器を使ってみたい。」と思いながら
またそのまま箱に入れ、押し入れに戻します。
今のところ未使用食器の役割は、
私の目を楽しませてくれること。
それで普段使っている食器はというと、
パン祭りで貰った食器だったり、
あんまり好きじゃないから早く割れないかなと思って使っているものだったりします。
(一事が万事。これって私の物や人・事に対する気持ちに繋がってる?)
今使っている食器のほとんどが
私が小学生のころから使っているものであり、
絵柄が薄れてしまっているもの。
そして同じもののまだ新しいのが
食器棚にあったりするので、
例え今使っているものが割れても
同じのを出してくるだけ。
欠けも多少なら気にせず使います。
タッパに至っては
食品が入っていた容器、パッケージとして我が家に入ってきたものを使ったりもします。
食器棚を見つめて食器の多さにイライラし、
捨てられない自分にイライラします。
前に
「イライラ解消に食器を割ったらいい」という
アイディアを何かで読んだときには
想像だけで気分が悪くなるほどの罪悪感に襲われました。
私にとって理想的な解決方法は・・・。
今までの食器も新しい食器も思いっきり使う。
季節替わりでいいじゃないの?
いやいやそれより・・・
「家で食事会をする」
これしか無い、と考え、
その考えの恐ろしさにまた気分が悪くなる。
急に話は変わりますが、
実は姉と私の二人、
他所のお宅にもう何度かお呼ばれされており、
その人たちは「定期的」に集まることを希望されている。
今、私たちはとても優しくされている。
私たち、誘われた食事会を断ることなく、
そのくせ自宅に招いての食事会はしないという
多分非常識であろう状態でいるのに。
言われたことは。
「あなたの家の庭で花見はどう?ほかの人にも声かけて
食事は持ち寄りにしましょうよ。」と計画してくださり
他の人への声かけやいろんな準備をしてくれ、
私たちはほんとに場所を提供しただけで済んだ。
人に会う前は緊張、会った後は自己嫌悪に陥る、ので
食事会などの声かけはいらないというのが本音ですが、
嫌われるのは怖い。
いつまでもこのままでいてはいけない。
いけないというか
私が望もうが望むまいがこのままの状態は長くは続かない。
人に嫌われないためには
ある程度は「しなくちゃならないことはする」人でいないと。
いないとというか、
そうしたほうが楽な生き方ができる。
食器を使う&食事会、
最初は姉①②と義兄の4人でとか、
Yちゃんととかで練習をやってみようと、
一時は思っていたのだけど、
「声かけ」まずそこからの勇気なくて難しいです。
逃げの戦略的には、
「これは私の仕事じゃない。姉に任せる。私はもう考えない。」
「仕事を早く探す。空いてる時間を減らす。」
「食事会」をしなくても許されるような何か別のことを引き受ける。
「食事会」に慣れる。さっと済ませるコツをつかむ。
「食事会」の形を変える、提案する。
(これはもうされている。私提案ではないけど。持ち寄りのお花見であったりピザ会だったり。
親睦が目的じゃなく、1~2時間くらいで何かを作ったり学んだりならいいかも。ただやっぱり提案者になるのはハードルが高い)