でも幸せ | 田島浩司と作品―表現する―

田島浩司と作品―表現する―

カタログ&パンフレット

みんな、元気ですか。

 

 

終了式が近いけど、しっかりと日々を過ごせているかな。

 

 

来月には、また1年、学年が上がる。

 

 

年を重ねることをそれぞれに尊重し合い、新しい1年に取り組んでもらいたい。

 

 

今月にみんなの終了式に伺える限り伺います。

 

 

KENが卒業式だ。みんなで祝ってあげようね。

 

 

 

 

 

 

 

失礼しました。お早うございます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

進んでます。

 

 

ここ数日、脊髄が痛くて痛くて仕方なかったんですけど、昨日、チェンが電話でGunさんから方法を聞いて私の体を処方したら背中がボキボキボキッと鳴りました。

 

 

いてっ、ではなく「気持ちいい」と言いました。

 

 

背中の固まってた箇所が柔らかくなってそれから仕事に集中できました。

 

 

Gunさんから、とりあえずチェンくんが処方したが指にシビれはないか?、と聞かれました。

 

 

ないよ、と答えました。

 

 

体を酷使し過ぎだ、とGunさんに言われました。

 

 

もうちょっとで終わるんだろ、頑張れ、とGunさんに言われました。

 

 

しかし、田島の手さばきってのは天才的だな、とGunさんに言われました。

 

 

真骨頂とはこういうことなんだろうな、とGunさんに言われました。

 

 

子供たちが田島の心配をしてる、今、電話するか?、仕事が終わってから電話にするか?、とGunさんから聞かれて、仕事が終わってから頼むよ、と言いました。

 

 

毎回のことだけど田島の芯の強さってのは見習ってるよ、とGunさんに言われました。

 

 

Kataが電話、替わりてえって言ってるから替わるな、と言われました。

 

 

おぉ、歴戦の勇士よ、元気か、と言われました。

 

 

体はとうに限界を超えてるだろう。

 

 

人生には何度か試練の時が訪れる。

 

 

田島、東日本大震災の起こった日が近い。

 

 

あの日あの時からオレたちなりに必死にもがいてきた。

 

 

現地で見た被災地のあの時の気持ちを忘れないでいてくれとKataさんに言われました。

 

 

Kataさんは大自然から命を授かった心優しき人です。

 

 

Kataは田島をリスペクトしているとGunさんから聞いてます。

 

 

ツラい時、苦しい時、みんなのことが浮かびます。

 

 

まだ奥歯はガタガタ震えますし、パーキンソン病もそのままで両手もガタガタ震えます。

 

 

さらに脊髄が痛くて奥歯が痛いです。

 

 

コンディションは最悪だと思います。

 

 

奥歯は針を刺して膿を出します。今週の水曜日に代診で外来に行ってもらった時に痛み止めをいただいて飲みます。

 

 

歯医者に行ってる時間がありません。

 

 

脊髄は今日、Gunさんがうちに施術に来ると週末にHarukaと2時間、会う時間が取れなくなります。今日、またGunさんに方法を聞いてチェンに処方してもらいます。

 

 

Harukaが誕生日会は作品を搬入してからでいいよ、と言ってくれました。チェンさんと世界堂に行かなければいけないでしょ、と言われました。

 

 

浩司さんと関わっていると元気や勇気が湧いてくる、これってなんだろうね、とHarukaに言われました。

 

 

チェンさんがね、田島をもう辞めさせてあげてくれよって言ってたよ。

 

 

でも誰に訴えたらいいんだろうか、って言ってたよ。

 

 

浩司さんの場合、0から10まですべて自己責任で生活してるからドクターストップをかけてもらえる機会もない、1度、限界を超えてしまったら死の瞬間を待つしかない、その瀬戸際でオレたちが動いているってGunさんに言われてチェンさん、不条理に対して叫んでたよ、と言われました。

 

 

この前、私が夜、眠っている間にGunさんとKataさんとHarukaとチェンとで集合して私のことで少しでも力になる、のような会議をしたそうです。

 

 

Gunさんが、田島の体について知っていることがあれば1個でも出してくれ、田島の命をつなげる作戦を立てる、と言ってたよ、と言われました。

 

 

 

 

 

高性能カメラの替えのレンズです。新品です。

 

 

 

 

 

 

 

あぁ、今、「皇室御一家」を見ています。

 

 

森美術館は天皇陛下は大歓迎で迎えるんですか。

 

 

そーですか。

 

 

作品が集まらなければお客さんが集まらないという話ではないでしょうか。

 

 

もっと作品の中身を見て選定するようにしてくださいね。

 

 

ありていで学び取ったことを、ありていに仕事にする、では、いつかこの業界が崩壊します。

 

 

今すぐに崩壊という話ではないかもしれません。

 

 

しかし、ここ近年の絵を描く人口の激増数はちょっと異常です。

 

 

この激増数は飽和を超えても保たれます。

 

 

その中から当然のように高度な能力者が出現するかといえばその能力の振り幅は限定的です。

 

 

飽和の定数を超える。その先に命を削り試練を超えて能力に覚醒できうる者は皆無というところです。

 

 

激増数に応じ、多種多様に能力が発生する訳ではありません。

 

 

人間の生命根というのは激増数に比例して薄まって行きます。

 

 

自然界の宿命です。

 

 

森美術館もアーティストの発掘に携わり、ムーブメントに対する責務の一端を担っていると解釈されてください。

 

 

美術館も今は『淘汰』を待つ時期でしょう。

 

 

絵を描く人口のこの激増数に対して『淘汰』も具体的な調整手段にはならないでしょうね。

 

 

美術館も究極の選定(増反政策・減反政策)をする時期がいずれ近いうちに訪れます。

 

 

宣告しておきましょう。私はどの選定でも必定的に生き残ります。

 

 

アートの世界でも私が生命根を保持しうるこの時代の最後の能力者だと冷静に判断しております。

 

 

 

 

 

 

 

現在のフェイスブックのアカウントは上○隆雄に乗っ取られているのでログアウトして凍結し、フェイスブックは新しいアカウントで立ち上げるかもしれません。

 

 

少し考えるお時間をいただきたいです。

 

 

39歳から10年間、上○隆雄に2ちゃんねるでデマを横行され続けて、現在、私は50歳。

 

 

来月の4月で51歳になります。

 

 

この先、プロとして最前線で仕事を続けて行けるかの自信など正直、無いというところです。

 

 

様々な能力に覚醒し、準備というものを整えながら挑んだ健常の世界ですが、やはり重度の障害を抱えながらの健常の世界での挑戦の厳しさを噛みしめているところです。

 

 

私は完全に健常者の立ち位置に機能して行動しております。

 

 

『障害者だから、まぁ、いいか。』などという妥協は健常者のかたたちには1ミリも挟まっていません。

 

 

精神保健福祉士のプロが推奨する障害者とはちょっと事情が違う障害者なんです。

 

 

それだけにパーフェクトな中でもパーフェクトを敷き詰めて仕事にも邁進してきました。

 

 

その緊迫の中で20年間、行動し続けてきています。

 

 

ヘルパーと施設の職員の手を1度も介さずのこの5年間の実家での介護も正直、こたえました。

 

 

未来を語ることが、しんどくなりました。

 

 

実家の家族以外の私の家族たちからは『引退しないでオレたちとやって行こう。』と言ってもらえてますが、正直、「責任」と「使命」のタズナを握り込む自信もありません。

 

 

師範だったら厳格な言葉を私に叩きつけて己の運命をまっとうしなさい、と言い放ったことでしょう。

 

 

師範は優しい人でしたが、唯一、責任と使命に対しては厳しい人でした。

 

 

その辺は師範代やGunさんやTaiさんやKataさんとではくぐってきた修羅場の練度が違うのでしょう。

 

 

『一帝は田島の不可思議な生命の力に心を弾ませてたんだがのう。お主のことを”我が息子”と言うてたぞ。』と西の師範に言われました。

 

 

 

 

 

 

 

さて。では、仕事、頑張ります。

 

 

 

 

 

 

 

『オマケ』:

 

 

「ザ・ノンフィクション」を録画してます。たまたまですけど。

 

 

府中の街がフォーカスされてます。

 

 

まぁ、これは同級生の「スッピン」の差し金でしょう。

 

 

栄枯盛衰とでも言いたいんでしょうね。

 

 

もうこの14年くらい、私は夜の街に(飲みに)は行ってません。

 

 

(掃除のバイトで駅には行きました。が、駅が違います。)

 

 

Harukaと学び、道場に行って学んでおります。

 

 

先日、チェンと調布に飲みに行ったお店は『赤ちょうちん』のお店です。

 

 

『赤ちょうちん』のお店は安心して飲めるじゃないですか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Harukaが車で来ました。

 

 

うちでご飯を食べて行きました。

 

 

サバの味噌煮と肉じゃがと白米と味噌汁にしてあげました。

 

 

塩辛も食べたいと言うので出してあげました。

 

 

浩司さん、大丈夫?、と言われました。

 

 

うん、大丈夫だよ、と言いました。

 

 

それから私の仕事ぶりを見て感動してました。

 

 

明日、3.11だね。浩司さん、長かったね。13年間、被災地で受けたショックを抱えながら生きてきたね、と言われました。

 

 

うん、出動記録をたどればいろいろなことがあったよ。人を救っているようでいて自分が救われてきた。師範が生きてらっしゃれば、もうちょっと動けたかもと思うけど、オレたちはベストを尽くして来たと信じることにしているよ、と言いました。

 

 

浩司さんの一族ってそういう一族なの?、と聞かれました。

 

 

いや、オフクロの一族は農耕民族だよ。馬場のオジさんが消防庁に勤めていて火災の現場に出動されていた。定年退職されてるけどね。それぞれの立ち位置で様々に使命感があると思うよ、と言いました。オジさんがちょっと体を壊しちゃってさ、お見舞いに伺おうと思ってるんだ。ヒロシくんの会社への個人融資のこともオレなりに解ってるし、オジさんが大変なことがオレは解ってるしね。オジさんはオレに意固地を張るかもしれないけど、オレはオジさんに張る意地はないよ。オレにとって師範をリスペクトして、オジさんはリスペクトしないなんてことは無いよ、と言いました。

 

 

出動する人たちを送り出すって大変なことだよね、とHarukaは言いました。

 

 

あぁ、あとオレの脳腫瘍の疑いだけど、Gunさんは無い派だと言ってたよ。今度、Gunさんと検査にも行くけどね。Gunさんがね、脳腫瘍で倒れているケースに何件も立ち会ってきてるんだけど、田島の場合、疲れて倒れた事後の対応の迅速さと正確さが脳腫瘍で倒れている人たちの比較にならないと言ってる。現実に両耳の突発性の耳鳴りがおさまっているし、脳へのダメージは想像するより少ないとGunさんが言ってるよ、と言いました。

 

 

良かった、とHarukaが言ってました。

 

 

Harukaは私の残りの生気をしっかりと確認してそれから帰りました。そういう鋭さはやはりと言うか上司ですね。

 

 

「なんでしょうか、それは。」と言ったら、最終確認です、と言ってました。

 

 

こんな些細な「やり取り」も私たちには幸せなんです。人を愛し続けるということは、1つ1つを大切にするということでもあるんでしょうね。

 

 

冷凍食品とカップラーメンとお茶とコーヒーを持たせてあげました。

 

 

           田島 浩司