似て非なるもの | 田島浩司と作品―表現する―

田島浩司と作品―表現する―

カタログ&パンフレット

お早うございます。

 

 

 

 

 

 

 

昨日はテーブルで寝落ちしてしまいました。ヨダレでテクスチャーを汚さなくて助かりました。

 

 

昨夜、チェンにドン・キホーテさんに買い出しに行ってもらいました。

 

 

今日から1日、60カット入れることをマストとします。

 

 

かなり目を酷使します。

 

 

集中力は上がっています。

 

 

切って切って切りまくります。

 

 

どーして時間の欲しい時に限って時間が残されてないんですかねぇ。

 

 

YUCOさんからはメールが返ってこないし。仕事のメールなのに。ラインじゃないと積極的に読まないんだと思います。

 

 

今週末、ボードを買いに行きながら、額も買ってきます。額を買ってきてからパッキン加工する道具は用意してあります。

 

 

『田島のやってるカットってそんなに進まないのか?。』とチェンに言われたので「ここ一箇所、切ってみな。」と言ってチェンにナイフを握らせて一箇所、切らせました。『なんだ、こりゃ、ナイフがまったく動かせねえ。田島、これどうやったらナイフが動くんだ?。』と言うので「刃をマットの接地面からミリで浮かせて動かすんだよ。刃をマットの接地面に食い込ませて切る時は刃を押し付けるんだよ。刃を歪ませるから万が一、自分の方向に折れた刃が飛んでこないように気をつけてな。下に敷いてるマットにワトソンのスケッチブックの厚紙を使ってるから刃が食い込むと動かしにくいんだ。て、ことは常に緊迫が刃に走る。実証済みなんだが刃に恐ろしい緊迫が伴い続けて切ったものは、そういう圧がかかった独特のものに出来上がる。この動作を覚えておくと大判の作品をカットする時に活用できる。Kataさんがナタを使って仏刻を掘ることに着想を得た。タミヤのアートナイフを使ってという小手先の作業じゃないんだ。タミヤのアートナイフで切るものは、どうしてもキャッチーな作りに出来上がってしまうんだ。かなりの握力を使うだろ。」と言いました。チェンが驚いてました。私がただ切ってるだけの作業のように見てたということです。『慣れてない者だったら、これ1箇所、切るのに30分はかかると思う。しかも切ったあと、恐ろしい脱力感に襲われるよ。』とチェンが言ってました。

 

 

 

 

 

 

 

デュアルメタリックブラッシュのブラック+レッドを1本、買いました。「シャアザク」に使います。ちなみにですがプラモは高いですねぇ…。私が3体すべて売り払った「高機動型ザク 黒い三連星仕様」が現在、1体、余裕の1万円超えですか…。買い戻せないな…。

 

 

 

うちは「ひなまつり」はしませんでした。3月14日がHarukaの誕生日なのでそれ1本にしぼっています。3月11日は東日本大震災が起こった災厄日です。黙祷させていただきます。できれば本部で黙祷させていただきたい所です。まぁ、いろいろとご挨拶をさせていただきたい隊員のかたたちもいます。オレたちって原則的に孤高で踏ん張り続ける存在だもん。まぁ、本当はレスキューの活動のことをもっと速い段階でブログに書いたりということをしたかったのですが菊地くんたちがハナっから『こうだ!。』という先入観のワクにはめつけて物凄い圧で私に睨みをきかしてたのでね。そりゃぁ、だって実働している渦中の私とヒマを持て余している菊地くんたちとでは睨みをきかせることに傾けるエネルギー量が違いますよ。『タジが発するこの程度の情報の密度の内容だったら許してやろう。』なんて呪縛を受けてました。「レスキュー」なんて書こうものなら彼らとの付き合い上で集中砲火を浴びた上に抹殺されてましたよ。そこは、やはり菊地くんたちが私の話を最初からしっかりと聞いて彼らの精神の中で現実を受け入れるべきだったと思います。「東日本大震災の災害ボランティアに参加した。」という私の言葉を1こと聞いただけでも『災害ボランティアだと〜?、どの口が言うんだ、この野郎!。』という案の定の菊地くんたちの残念な反応でした。私が道場に通っているだけでもウサンくさいと主張する菊地くんでしたが、月に1度だけ会うという決めつけごとを一方的に私に押し付けてきた菊地くんたちこそ本当にウサンくさかったです。結局、菊地くんが常習者であることと、うちの兄貴がしょっちゅう菊地くんのお宅にあがっていることを私に知られたくなかったという理由でした。有事に対して、命に対して発動する使命感の強さが違うということを菊地くんたちを見て感じ続けてました。菊地くんたちと切れてからも出動要請がかかって忙しかったですね。だから〜、2018年に本業の作品を開発して落ち着き始めてから、なんとなく「時はきた。」みたいな感じで自分が隔世遺伝者で特殊能力者という存在であることをブログに書き記し始めたと思います。それも社会の人たちに混乱を与えないように、だったと思います。練馬出身の私の同級生たちは現在、私のブログでの情報の開示を微笑ましく受け止めていると聞いてます。『あの頼りなかった田島が世のため、人のためになぁ。』と聞いてます。で、あと上○隆雄たちも勘違いをしてるんですけど、私は忙しい時は代わりの人にうちに来ていただいて私のパソコンから私のブログに字を打ってもらってました。すでに携帯電話やノートブックパソコンが使えた時代だったのでね。タブレット(アイパッド)も出回ってました。直後にスマホが定着するようにもなりました。

 

 

 

 

 

あぁ、そうだ、菊地くんよ。フェイスブックに載せてる菊地くんの作品を拝見させていただきました。なにも変わってないし、なにも成長しないね。ガッカリしました。公共のプレゼンテーションの場に菊地くんの作品を出品してないことと思う。どこか協会のプレゼンテーションに出品してごらん。かなり厳しい酷評にさらされると思うよ。なぜ協会のプレゼンテーションを推したかというと、協会のプレゼンテーションに対する酷評は自分を見つめ直すのにはもってこいの場なんだ。自分はベテランだと勘違いしている重鎮たちが、これまた違う角度から自分はベテランだと思い込んでいる作家たちを嘲笑するような場なんだ。焦点はその中で自分は自分をどう感じ取るかということなんだ。『勘違い』とくくってはいても、層の厚さがケタ違いなんだ。個人的には菊地くんの作品の中身の無さを周囲から諭されるのがベターだと思っています。アートの世界もナメてかかると叩っ斬られるよ。大人になってからの時間ってさ、ずっと同じ風景なのにアッという間でしょ。波乱を感じ取らないからなんだ。菊地くんは『ジェットコースターのような人生は送りたくない。』と言っていたね。そもそも例外なく人間の人生はジェットコースターなんだ。どのジェットコースターに乗って、どこのコースを回るのかの選択肢しか与えられない。その景色を体感した人間は発する言葉1つとっても違うと思うよ。先頭に立つ怖さも、落ちる怖さも知っているからね。やはりと言うかオレたちの周囲の時間は秒を刻んでいるし、オレたちの自然界は生死の決着がついている。オレたちの中でそれらの波乱を感じ取らなくなる人たちが存在するだけのことだよね。そういう人たちは己の人生において人事を尽くせていない。こういうことは堅実な女性が手堅く見抜いてしまうよ。ディスる気はなくて菊地くんの結婚した人ってどういう女性だろうか。ってことは、そこが菊地くんの最終的なゴールなんだろう。残念だけど、この局面はひっくり返せない。オレたち隔世遺伝者でいう運命というものかな。運命というものは宿命の段階で試練を経て変えることができると言われている。オレは己の運命のことを語るでしょ。宿命や試練を語る隔世遺伝者はいるが、運命を語る隔世遺伝者は珍しい。運命に突っ込んでいく行為は誰しも恐ろしいものだ。恐怖を転じて生を拾うのもオレの生き方さね。オレは自分が障害者という時点で逃げることすら許されない。(オレが健常者の世界に1歩、踏み込んだ瞬間、そういうポジションの障害者として迎え入れられた。オレの存在はカモと言っても言い過ぎではなかった。無論、逃げた瞬間に袋叩きが待ち受けていた。ちなみに、その近年は惨殺事件が起こり、天変地異が躍動した。民衆の根底に混乱が敷かれていた近年だったから障害者という弱者をいたぶる右翼的な思想が横行した。それからずっと「健常者の世界で逃げない障害者」という位置づけで長らく来ちまった。どこかのタイミングで逃げてもよかっただろうにな。)ともかく闘ってばかりの人生だ。そんな中で1つ見つけたモノがある。愛することだ。師範や子供たちと出逢えた時点ですでにオレは義の星の宿命の人間だった。

 

 

 

 

 

 

 

では、頑張ります。

 

 

            田島 浩司