歯を喰いしばれ | 田島浩司と作品―表現する―

田島浩司と作品―表現する―

カタログ&パンフレット

お早うございます。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

 

染料を買うまで絵を描けません。

 

 

染料を買うお金がありません。

 

 

貧乏がツラいとか、嫌だ、という気持ちはありません。

 

 

オフクロの救いようのない段取りの悪さと、手ぎわの悪さがもう嫌です。オフクロが私の出版社との契約をぶち壊して現在、私たちの生活が立ち行かなくなってることが事実であるし、Harukaと2人の物を『まんだらけ』さんに1500万以上で一括譲渡をしようとしていた物を実家が公共料金などを支払えないなどの理由で急遽、ブックオフさんに実値の3割未満の300万ぽっちで売りに行かせたことが事実であるし、したらその後の補填はオフクロが鼻血が出るほど土下座を繰り返してお金を借りてくるのが筋道でしょうに。経営多難に陥った実家のお店は自力で立て直すことは不可能だから、私が契約をとってきて収入を得てみんなの生活を立て直して、その上で実家のお店を立て直すしか手段がないでしょうによ。腹をくくる覚悟だけはしてくれ。私に才能が無いとか、私に交渉能力が無いとかの理由だったらこの仕事をあきらめられるけど、オフクロに契約をぶち壊されて現在、生活が立ち行ってないのが理由だからギブアップのしようがない。私はこのまま落ちていく気持ちはない。必ず一旗あげてみせます。

 

 

実家の3人の家族の命を守りに実家に行っている間、みんなとも会えず孤独の中で3人の命を守り切りました。

 

 

家事や家のことも大変な上に、Harukaとの物もブックオフさんに売りに行かされて肉体は悲鳴をあげていました。それだけではなく汚い言葉を浴びせられて、ヒドい裏切られ方もされました。

 

 

どんな気持ちで私が実家で過ごしたのか実家の家族は理解しようとさえしません。

 

 

オフクロは浩司が次から次へと家のことをやるから、それに歯止めをかけるために『ありがた迷惑だ!、頼みもしねえのに余計なことしやがって!。』と言ったと言ってました。それは違うだろ。どんなことがあっても人さまの人格を蹴落とす行為は許されない。『家のことをやって欲しくない。』と言い張る前に自分たちで家のことをしっかりとやれよ。お前らに家のことができなければ私がやる。それだけのことです。兄貴が成虫バエを大量発生させてお前らになにができたんでしょうか?。実家の洗濯機が壊れてお前らになにができたんでしょうか?。例を挙げればキリがありませんがお前たちのどうしようもなさを棚にあげて『ありがた迷惑だ!、頼みもしねえのに余計なことしやがって!。』か?。お前ら、救えねえよ。

 

 

確実に言えることは家族の私が介護に入ってこの排斥のしようなので、他者であるヘルパーさんか施設の職員のかたが介護に入っても100%うまく行きません。いずれ近いうちにオフクロとジジイの2人ぼっちになります。オフクロは自転車に乗っての買い物もできなくなってきています。

 

 

介護だけならまだしも、私は実家の連中のフラストレーションの発散の対象になるのは、もう冗談ではありません。

 

 

どうにせよ、実家でこき使われ続けて、今、私は倒れてしまい、実家まで辿り着くこともできません。お前らの好きなようにしてください。私は実家のお店の掃除・釣り銭・装飾・集客の心配もしました。どんなにお前らが現実から目をそむけても、私1人だけは現実をしっかりと見据え続けました。だからこのコロナ禍で実家を残せました。

 

 

極めつけに可哀想なことが2つ。私がハタノさんに手紙を送ったからオフクロはハタノさんたちの家族会に行けなくなったと言うが、私がハタノさんの家族会に見学だけをしに行った時に家族会のメンバーのカザマさんたちがことさらに私に嫌がらせをしなくても済んだ話だし、私は実家でこれ以上なくこき使われ続けて文字を文章に興せる力など1ミリも残されていなかった。そんな体の状態で体の芯から言葉をしぼり尽くしてハタノさんに手紙を書いた。当然のごとく、書いた文章はほとんど文章として成立してはいなかった。よほど訴えたいという心が過労リスクを凌駕したとしか言いようがない。なにもそんな体の状態で手紙を書かせなくても、2〜3日、私に静養を与えてから手紙を書かせてあげることもできた。お前ら、それでも人間か?。人の親か?。

 

 

もう1つはオフクロに契約をぶち壊された事後に馬場のオバさんが『口先だけの契約』とディスってきた。契約がぶち壊されて、どんどん状況が悪くなって行くことが解り切っていての馬場のオバさんの罵詈雑言だった。その契約と言うのは私が頭を床にこすりつけて土下座をして頼み込んでとってきた話だった。オバサンよ、あんた、それでも人間か?。

 

 

お前らの家族をいたわらない精神、人を思いやることのない精神が私には理解に苦しむ。人の精神の分析図はほぼ優しさと思いやりからできている。それを遮るほどのお前らの我の強さと業の深さという説明になる。なぜ我の強さと業の深さが前面に出てくるのか。その理由は『自分さえ良ければそれでいい。』という傲慢極まりない自分ファーストから生じているという理由しか存在しない。『自分さえ良ければそれでいい。』とは言うが、果たしてそれは単純に人としてどうだろうか?。意固地を張り通し自己の傲慢を最優先させるというお前ら流の必定は人間の日常に必要なんだろうか?。オレは思う。お前らには日頃の感謝が足りてない。お前らは命があるという事実を軽んじている。お前らは毎日があるという事実を軽んじている。好奇心を軽んじている。軽んじているから感謝も感動も産まれない。お前らは感謝と感動のエネルギーがどれほどのパワーを人間に授けてくれるのかを軽んじている。

 

 

オレはアートが好きだ。己の体の芯から湧く描くことへの喜びと感謝、感動というエネルギーが己の全身を駆け抜け他者に感激が達する瞬間が好きだ。

 

 

オレは「ありがとう」という言葉が好きだ。言葉の持つ本来の響きと、言葉の持つ本来の「しなやかさ」がとてもすがすがしい。人間、全身全霊で取り組み、その後には後悔など一片も残さないベストな自分でありたいと常に思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

少し、私の作る料理のお話を。

 

 

私の作る鍋は美味しいんです。

 

 

なぜかと言うと私が働かせていただいていた料亭で各支店から代表者が出て鍋を作るというイベントが毎冬にありました。

 

 

私は働いていた年に代表者として出て料亭から特選(最優秀賞のようなもの)をいただきました。

 

 

鍋の具材は料亭で用意する物から選ぶ。出汁もタレも同じく。素材の差異なしに純然な己の腕だけで競う。というイベントでした。私が特選をいただくまでは周派か秀麗派しか審査で『ふだ』が挙がったことがありませんでした。

 

 

私の作る鍋だけは『ありがた迷惑だ!、頼みもしねえのに余計なことしやがって!。』で締めるのではなく『浩司、美味しかったよ、来年も作ってね。』で終えたかった。

 

 

ちなみに私がカレーハンバーグに選ぶデミ・ハンバーグは美味しいんです。なぜかと言うと凍らせてないんです。凍らせないで生で運ばれたハンバーグはボイルで仕上げてで充分、美味しいんです。肉と魚に関しては凍らせた時点でその食材の命が途絶えます。凍らせて化学反応で味を演出するという方法もメジャーになりつつあります。

 

 

私の作る「うどん」は美味しいんです。なぜかと言うと、肉と野菜のみでダシをとってるからなんです。これは最新の解釈と言われています。「みりん」や「鰹節」を使って作れないことはありませんが内臓に負担がかかって体的にあまりよくありません。そもそも内臓に負担のかかる物に美味しいという知覚が人間の本能に生じるワケもありません。

 

 

私の料理を食べた人たちは例外なく『また食べたい。』と言います。私はうちの実家の家族にだけ、一生懸命、自分の料理のアピールを繰り返してます。理論も根拠もすっ飛ばして初めから決めつけてかかる実家の人たちの先入観には、いい加減、アホくさくなります。

 

 

私の料理のキモは火加減と水加減と素材の構成です。

 

 

人間、美味しい物を食べて、団欒を囲んだら気持ちがあがる、そうしたら多少の嫌なことには耐えられる、と師範が言ってました。オレたち5人は特等、悪くて、特等、愛されたんでしょうね。私に関してのワルはそういうワルではなくて『特等に障害が重い』ということだそうです。『歯を喰いしばれ、田島!。ハンデのある人たちの希望になれ!。』と西の師範から激励されています。私の周囲は、すがすがしい男たちで囲まれております笑い泣き

 

 

『田島よ、往く道は1つ。命は1つ。天命とはままならないものよのう。』と師範は言っていました。昔日の人たちは流れる星を見て悠久のロマンを馳せ、土を耕し、豊穣を愛で、果てしのない時を過ごしたそうです。

 

 

人生は最強に理不尽で最高に感動だ。

 

 

          田島 浩司