神さま、ぼくがいきます | プラネタ旅日記

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児童書専門古本店プラネタ(無店舗)の管理人が細々~となにやら呟いております。大半は読書記録。時々頭の悪さと猫馬鹿具合を炸裂させてます。

ウイリヤ シリシング, Wiriya Sirisingha, Jung Trin, 田中 忠治, チュング トゥリン
神さま、ぼくがいきます

内容(「MARC」データベースより)
金色に輝く田んぼの中に一粒だけ色の違う緑色のイネ粒がなっていました。ある日、神様にだれか山の向うの荒れ地に植物の種を届けてほしいと尋ねられると、緑色のイネ粒はぼくが行きますと言って…。



目の前に、小さな緑色の稲粒があります。

これが、勇気の種です。


金色に輝く田んぼを見たことがありますか?

夕暮れに、さわさわと風を受けてなびく黄金の稲穂。

田舎ではよく目にする秋の風景で、私はとても好きです。小さな苗が少しずつ大きくなり、頭を垂れて刈入のときを待つまで、毎日見ていても飽きません。

その美しい金色の中に、一粒だけ緑の稲粒がありました。

生まれてくるのが遅かったために、十分な栄養と太陽の光を得られず、金色に輝く仲間の一員になれなかった、小さな稲粒です。


「おまえなんかなんの役にも立たない、そのまま干からびてしまえ」


そんな言葉を投げつける仲間たち。

けれど、この小さな稲粒こそが、大きな勇気の持ち主でした。

「神さま、ぼくがいきます」

と、仲間に嘲りの言葉を投げられても、火を恐れず、水を恐れず、突然振り下ろされた杵にも恐れず、荒地に豊な恵みをもたらしました。


小さな緑の稲粒です。

誰のお腹を満たすことも出来ない、芽を出して次の稲を生み出すことも出来ない、ちっぽけな存在です。

けれど、その小さな体には他の誰も持っていない勇気がありました。

「神さま、ぼくがいきます」と、声をあげる勇気でした。

もし神さまが何も頼みに来なければ、稲粒はそのまま干からびていたでしょうか。

誰かが何かを提供してくれなければ道を拓けないならば、それは本当の勇気ではないかも知れません。

この小さな稲粒にはきっと、その存在だけで誰かを幸せにする力があったのだと思います。それが、本当の勇気です。


私たちは集団の中に入れば何のとりえもない、ちっぽけな人間の一人にすぎません。

だけど、もしかしたら、心のどこかにこの緑の稲粒と同じくらいの勇気を持っているかも知れません。

大きなことは出来なくても、何かを変えることは出来なくても、今ここにいるだけで、誰かの役に立っている、誰かの心の支えになっている、誰かの幸せに力を貸しているかも知れません。


この本は「イジメられても勇気を持てば、恐いものなどないと言うことを教え、また反対にイジメるものは、勇気のないひきょうものだと教えています」と紹介されています。

あなたの中の、私のなかの、ちっぽけな卑怯者の部分を勇気に変えれば、人生が変わってくるかも知れません。