という事で、ブログを連日更新。
ネタが出る時はあふれ出て止まらないので、今の間に書き留めておきます(汗)。
続編の続編という形になりますが何卒お許し下さい。
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音楽だけでは食べていけなくなり、とにかく手に職をつけようとそれまで興味のあった「写真屋」の門を叩いた。
初めはどんな撮影でも「50mm」の単玉(ズームではない)しかつけさせてもらえず、アップしたければ自分で行け、全体を入れたければ動け…、という、まぁ昔ながらの修行の連続。
ある程度技術が身につき、大体の撮影はこなせるようになり、後は「どれだけ他の人より綺麗に撮影できるか」を必死になって学んでいた。
上手な人を見つけると技を盗み、質問攻めにしたり、その方が撮影した「ネガ」を見せて頂いたり…。
とにかく「技術向上」に必死だったと思います。
もちろんその時すでに「他の方」から見れば、写真撮影で報酬を得ているのですから「プロ」だったのは間違いありません。
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10年以上前の話。
会社に一本の電話が入った。
何でも「自分の息子の記録写真」を撮影して欲しいとの事。
漠然とした問いに見積もりも出せず、とにかく使用目的さえわからないので、その方の自宅に伺いお話を聞かせてもらう事になった。
伺ってみると、50歳過ぎの白髪交じりの男性が出迎えてくれ、リビングに通してくれた。
そこには20歳くらいのガタイの良い男性がベッドに横たわり、涎を垂らしながら「う~う~」唸ってこっちを見ている。
失礼だがリビングには「糞尿」の匂いまで立ちこめていた。
しばし呆然としたが、とにかく冷静になりお話を伺った。
仮に依頼主を「ご主人」、その横たわっている男性をAさんと呼ばせてもらいます。
ご主人は私にお茶を出し、重い口をゆっくりと開き話し始めた。
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この子(Aさん)の一日を撮影して欲しいんです。
実はこの子、大学でラグビーをしていたんですが、何かの拍子に「頸椎」を痛めてしまったんです。
まぁ、こういうスポーツですから怪我も日常茶飯事。「むち打ち」の酷いやつ程度の感覚で病院に行きました。
治療のためベッドに横になっている最中、何の前触れもなく「心肺停止状態」になったんです。
病院も予想外の事で、目を離していたんでしょう。何分か心停止のまま放置されてしまいました。
何とか蘇生は出来たのですが、寝かされたままだったので身体の背中半分に「死斑」が出て、脳の一部が壊死してしまったんです。
結局「記憶」「意識」ははっきりしているんですが、運動機能だけが奪われてしまったようで。
それから調べに調べて、アメリカの医者でこういう事例から回復させたという事がわかり、どうしてもそこで治療を受けさせたいんです。
お願いするために資料を作り、写真を同封しようと思ったんですが、どうしても「主観」が入りすぎて写真に説得力がない気がしたんです。
それで撮影の方を「プロ」の方にお願いすれば、そのお医者さんに来る多くの依頼の中で、もしかしたら目に留まるんじゃないかと…。
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黙って聞くしかなかった。
同情も共感も出来ないくらい壮絶なことがあったんだろうと思う。
見積もりの方は「通常の依頼」として撮影する事になった。
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改めて伺い、Aさんの日常をひたすら撮影した。
ちょっと考えてもらえればわかると思うが、Aさんは「意識」「思考」は全く変わらず、ただ身体が全くいう事をきかないという状態。
話しかければ「応えようとする動き」もするし、ご飯も排泄も「ちゃんとやろうと思えば思うほど」うまく出来ない。
そのもどかしさからイライラし、時に怒り、時に泣く。
いい大人が「よだれかけ」をつけられ、口から食べ物をこぼす姿を「写真に撮られる」なんて屈辱以外の何ものでもない。
でも、ご主人もAさんも、治療を受けて治る事を願いながら、屈辱的でもあろう姿を撮影され続けられる事を甘んじて受けている。
本人の「最も記録されたくない姿」を「最大限に表現」しなければならないカメラマンである自分の立場。
撮影が終わってしばらくは、本当に何も手につかなかった事を未だに良く覚えている。
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撮影した写真をプリントし、そのお宅に届けた。
ご主人は写真を見ながら「これで治療出来る可能性が見えてきました」と何度も何度も頭を下げ感謝された。
Aさんも写真を見たが、自分がこれほどまでの状況だと言う事が「リアル」にわかったようで「う~う~」唸りながら涙を流していた。
しばし雑談の後、ご主人から何万もするであろう「ウィスキー」を頂いた。
撮影代は頂いているので、そんな高いものは受け取れないと断ると、ご主人が応えた…
「これはお金では表現しきれない、感謝の気持ちとして受け取って下さい…。この撮影で治療が受けられるかどうかはまだわかりません。でも今まで見えなかった可能性が見えてきました。その可能性に対する感謝の気持ちなんです。私としてはこれでも足りないくらいなのですから…。」
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この時ね、今まで
写真を「綺麗に撮ればいい」「上手く撮れたらいい」と頑張っていた自分の中の「何か」が完全に変わった。
カメラマンは「主役」じゃない。
写真一つでその人の「人生」が変わることもある。
一枚の写真が「生き死に」を決めることさえある。
生きるために、その一枚に「すがる」人もいる。
綺麗に撮るだけが写真じゃ無い。
美しく表現することだけが写真じゃ無い。
今まで「自分はプロカメラマンです」なんて人に言っていた事が恥ずかしくてたまらなくなった。
多分、この日が自分にとって
「本当のプロカメラマン」になった日じゃないかと思う。
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プロカメラマンは、自分でプロカメラマンになったと思ってはいけない。
被写体や他の人から
「プロカメラマンにさせてもらった」んだと思う。
どんなに技術があっても、どんなにセンスがあっても、そしてどんなにすごい機材を使っていても…。
「撮ってやっている」と思っている限り、プロカメラマンじゃない。「撮らせて頂いている」
「貴方の大切な人生の一部を残させてもらっている」
人智の及ばない大自然の一瞬を記録させてもらっている」そういう気持ちがなければ、
本当の「プロカメラマン」にはなれないと思う。
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