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末永慎のブログ

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じぶんのまわりのヒトたちと、うまくせっすることができず、にんげんかんけいをつくれず、コミュニケーションがとれない。というケースはおおい。そんなたいけんをしたことがあるヒトは、たくさんるかとおもわれる。

 

では、こういうタイプのヒトは、なぜ、このような状態におちいってしまったのであろうか。「ほんにんのかんがえかた・かちかん、ひとがら・じんかく、ほかのヒトへの接しかたなどに、りゆう・げんいんがある」というケースも、もちろんかんがえられる。

 

だがしかし、それだけではなくて、「まわりのヒトたちにもんだいがあり、どうがんばっても、そのまわりのヒトたちと、にんげんかんけいをつくり、コミュニケーションをとることが、うまくできない」というケースも、もしかしたらあるかもしれない。

 

まわりにいるヒトたちが、とても粗暴・狂暴でだり、キケン・もんだいのあることを、よくおこなっている。そういうタイプのヒトたちのなかに、まっとうな性格・かんがえかた・かちかんのヒトが、もしもまぎれこんでしまえば、どうしても、まわりのヒトからういてしまい、こりつするかとおもわれる。

 

コレはすこし、きょくたんなハナシになるかもしれないが、「たにんをおいこみ、イジメ・パワハラをしてたのしむような、ヒドイもんだいのあるヒトがあつまっている」というブラック企業に、しょうじきで真摯さがあり、マジメなタイプのヒトが、もしも就職してしまえば、こういう状態におちいってしまうかもしれない。

 

あるいは、マジメで根がやさしいヒトが、粗暴、凶暴なふりょうがおおく、校内でぼうりょくジケンがたはつするという、あれたがっこうにしんがくしてしまえば、やはり、おなじような状態になるかとおもわれる。

 

こういうばあいでは、そのほんにんに、たとえもんだいがなかったとしても、どうしても、まわりのヒトたちからういてしまい、こりつしてしまいがちである。

 

よく、「アイツは、コミュニケーションのうりょくがない。いつもひとりでいる」といういみのひはんを、えらそうにするヒトがいる。

 

そして、こういうひはんには、たいていのばあい、「そのこりつしており、ひとりでいるにんげんにもんだい・けってんがあり、それがりゆう・げんいんとなっているから、アイツはひとりでいるんだ」といういみが、ふくまれているかとおもわれる。

 

だがしかし、上にものべたように、そのほんにんにもんだい・けっかんがなくても、つまり、ほんにんにりゆう・げんいんがなくても、まわりにいるヒトたちがもんだいだらけであれば、どうしても、まわりのヒトたちとなじめないであろう。

 

まずだい1に、おたがいに、ハナシがあわないであろうし、かんがえかたも、かちかんもちがうはずである。そのために、いっしょにいると、おたがいに、くつうをかんじるはずである。

 

そういうヒトたちと、ガマンにガマンをかさねて、なかよくしてみたところで、しょせんは、かちかんなどに、ちがいがおおきすぎるのである。だから、ちょうきてきにみれば、そのにんげんかんけい、かんけいせいというものは、うまくいかない。

 

これらのことから、どうしても、「まわりのヒトたちとキョリををり、あまりしたしくせず、ひとりでいる」という状況になっているタイプのヒトも、よのなかには、一定数はいるのではないだろうか。

 

もしも、いつもひとりでおり、こりつしているようなタイプのヒトがいたとすれば、あんちょくに、「アイツにりゆう・げんいん、もんだい・けっかんがあるから、まわりのヒトたちと、うまくコミュニケーショがとれず、にんげんかんけいがつくれてないんだ」などとは、おもわないほうがよいのかもしれない。

 

そうではなくて、「そのほんにんに、りゆう・げんいん、もんだい・けっかんがあるのではなくて、まわりにいるヒトたちが、あまりにもヒドイし、もんだいがおおすぎる。だから、そのヒトは、じぶんの身のあんぜんのために、みずから、まわりのヒトたちとキョリをとって、ひとりでいる」というかのうせいについても、かんがえてみたほうがよいのかもしれない。