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末永慎のブログ

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凶悪なはんざい行為などの抑止・ブレーキになるモノとして、ほかのヒト・そんざいとのかんけい、つまり、にんげんかんけいがあるのかもしれない。

 

たしかに、「ほかのヒト・そんざいにたいし、まったくはいりょがない」という状態は、じぶんがいったこと、おこなったことによって、「ほかのヒト・そんざいにたいし、どんなえいきょうをあたえるか、まったくかんがえていない」というカタチになる。

 

こういう状態は、いわば、「ブレーキがない」ということでもある。ほかのヒト・そんざいにたいし、まったくはいりょがなければ、「キケン・もんだいのある、ムチャなこともおこなう」というタイプのヒトも、しぜんと、ふえそうである。

 

もしもじぶんが、ほかのヒト・勢力などとかかわり、つながっているのであれば、「じぶんのウカツで、けいそつな発言、ふるまい、行動などによって、そのかんけいしゃにたいし、どんなえいきょうがいき、めいわくをかけるのか。そして、あいてを怒らせて、ふゆかいにさせるかもしれない」という発想・かんがえかた・視点を、もちやすくなる。

 

じぶんと、かんけいがあるヒト・そんざいと、かんけい性が悪化してしまえば、しぜんと、「じぶん自身にたいし、キケン・もんだい・トラブルがやってくるかもしれない。それに、てきたいするヒト・そんざいがふえるから、じぶんの身が、キケンにされされるかもしれない」と、かんがえるようになる。

 

ということであれば、しぜんと、キケン・もんだいがあるような、ムチャでバカなことを、やりにくくなりそうである。まっとうなヒトであれば。

 

つまり、「粗暴、凶暴なこと、凶悪なはんざい行為などを、おこないにくくなる」という状態になるのかもしれない。

 

この発想・かんがえかた・視点を前提にしてかんがえると、「ほかのヒト・そんざいと、つながらず、かかわっていないヒトは、つまり、こりつし、こどくなヒトは、アブナイことをしやすい」というカタチになりそうである。

 

たしかに、ほかのヒトとのつながり、かんけい性のよわいヒトほど、ヒドイことをいったり、おこなったりしやすい。では、とにかくたにんとかかわり、つながるべきなのであろうか。

 

どうやら、そうたんじゅんで、かんたんにはいかないようである。だれであっても、たにんとのにんげんかんけいに、つねにはいりょし、あいてに合わせるのはつかれる。

 

それに、あいてにはいりょし、合わせるぶんだけ、じぶんのじゆうな時間がなくなる。だから、ものごとを、深くかんがえぬく。ということが、どうしてもできない。

 

また、「じぶんの意思・かんがえで、なにかをおこなう」ということもできない。コレでは、ヒトというよりは、しょくぶつのようになってしまうし、ストレス、ふへい・フマンがたまり、どこかでバクハツしてしまうかもしれない。

 

やはりヒトは、てきどに、「たにんにはいりょせず、合わせるひつようのない、じぶん自身のじゆうん時間」というモノを、もつべきかとおもわれる。