凶悪なはんざい行為などの抑止・ブレーキになるモノとして、ほかのヒト・そんざいとのかんけい、つまり、にんげんかんけいがあるのかもしれない。
たしかに、「ほかのヒト・そんざいにたいし、まったくはいりょがない」という状態は、じぶんがいったこと、おこなったことによって、「ほかのヒト・そんざいにたいし、どんなえいきょうをあたえるか、まったくかんがえていない」というカタチになる。
こういう状態は、いわば、「ブレーキがない」ということでもある。ほかのヒト・そんざいにたいし、まったくはいりょがなければ、「キケン・もんだいのある、ムチャなこともおこなう」というタイプのヒトも、しぜんと、ふえそうである。
もしもじぶんが、ほかのヒト・勢力などとかかわり、つながっているのであれば、「じぶんのウカツで、けいそつな発言、ふるまい、行動などによって、そのかんけいしゃにたいし、どんなえいきょうがいき、めいわくをかけるのか。そして、あいてを怒らせて、ふゆかいにさせるかもしれない」という発想・かんがえかた・視点を、もちやすくなる。
じぶんと、かんけいがあるヒト・そんざいと、かんけい性が悪化してしまえば、しぜんと、「じぶん自身にたいし、キケン・もんだい・トラブルがやってくるかもしれない。それに、てきたいするヒト・そんざいがふえるから、じぶんの身が、キケンにされされるかもしれない」と、かんがえるようになる。
ということであれば、しぜんと、キケン・もんだいがあるような、ムチャでバカなことを、やりにくくなりそうである。まっとうなヒトであれば。
つまり、「粗暴、凶暴なこと、凶悪なはんざい行為などを、おこないにくくなる」という状態になるのかもしれない。
この発想・かんがえかた・視点を前提にしてかんがえると、「ほかのヒト・そんざいと、つながらず、かかわっていないヒトは、つまり、こりつし、こどくなヒトは、アブナイことをしやすい」というカタチになりそうである。
たしかに、ほかのヒトとのつながり、かんけい性のよわいヒトほど、ヒドイことをいったり、おこなったりしやすい。では、とにかくたにんとかかわり、つながるべきなのであろうか。
どうやら、そうたんじゅんで、かんたんにはいかないようである。だれであっても、たにんとのにんげんかんけいに、つねにはいりょし、あいてに合わせるのはつかれる。
それに、あいてにはいりょし、合わせるぶんだけ、じぶんのじゆうな時間がなくなる。だから、ものごとを、深くかんがえぬく。ということが、どうしてもできない。
また、「じぶんの意思・かんがえで、なにかをおこなう」ということもできない。コレでは、ヒトというよりは、しょくぶつのようになってしまうし、ストレス、ふへい・フマンがたまり、どこかでバクハツしてしまうかもしれない。
やはりヒトは、てきどに、「たにんにはいりょせず、合わせるひつようのない、じぶん自身のじゆうん時間」というモノを、もつべきかとおもわれる。