まちがったないよう・じじつ・じょうほうを、きそ・ざいりょう・前提じょうけんにかんがえだされたことは、まずまちがいなく、ほぼ100%にちかいかくりつで、なにかしらのトラブル・もんだいのげんいんになりそうである。
ろこつにいってしまえば、「まちがったものを、きそ・ざいりょう・前提じょうけんにかんがえだされたことが、よいけっかをもたらした」ということなど、おそらく、ほとんどないかとおもわれる。
たとえあったとしても、それはしょせん、まぐれアタリのはずであり、「つぎからも、それがつうようする」ということはない。そんなことは、まずありえない。
このようにかんがえてみると、だれでもすぐやれることなのだが、めんどくさいから、やりたがらないひとがおおいのであろう、「こまめにメモをとって、ものごとをきろくする」という行為は、じつは、かなりじゅうようなことかもしれない。
だれでもすぐにやれる、きわめてかんたんことなのだが、いちいちメモをするのはめんどくさい。それに、メモをしたのであれば、あとになってから、そのないようをせいりして、まとめるひつようがでてくる。これもまた、アタマをつかってつかれるから、「イヤがって、やりたがらない」というひとはおおい。
だがしかし、これをちゃんとやらないと、どれほどアタマのよいひとであっても、「じかんのけいかによって、きおくのないようがかわり、まちがったかたちでおぼえてしまう」ということがふえてくる。
ということであれば、つまり、「あいまいであり、まちがっている不正確なきおくにたよる」ということになる。
そして、この「あいまいであり、まちがっていて不正確であり、あまりあてにできない、きおくのみにたよりつづける」というタイプのひとは、どうにも、あぶなっかしいようにおもえてしまう。
つまり、「こういうタイプのひとに、なにか、だいじなことをまかせてしまう」という行為は、かなりきけんなことかもしれない。
あいまいであり、あやまっている不正確なきおくにたよっている。そのために、そのひとがかんがえだしたことや、はんだんして、けつだん・意思けっていしたことは、かなりたかいかくりつで、きけん、もんだい、トラブルなどをひきおこすことになる。
また、こういうタイプのひとは、ほかのひと・かいしゃ・そしきと、とりひき、うちあわせ、交渉、はなしあいをするときでも、「あいまいであり、あやまっている不正確なきおく」をもとにしておこなうことがおおい。
そのために、あとになってから、あいてのほうから、「どういうことだ、これじゃあ、はなしがちがうじゃないか」などと、ひはんをうけるようなことをしてしまう。
しごとをしておらず、そのために、「せきにんがない」というひと、つまり「がくせい」であれば、こういうスタンスであっても、あるていどは、ゆるされるてしまうのかもしれない。
だがしかし、しゃかいにたいして出ていって、しごとをしているという「しゃかいじん」であれば、やはり、こういうスタンスでは、いずれは、じぶんがくるしむことになるはずである。