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末永慎のブログ

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ほかのヒトや、ほかのものごとと、ひかくすることができれば、どうやらヒトは、「なにかひとつのことだけを、狂信的にしんじこむ」という状態を、ふせぐことができるのかもしれない。

 

そして、「なにかひとつのことだけを、狂信的にしんじこむ」という状態とは、いいかたをかえれば、「なにかひとつのことについて、それだけがただしいのだと、ぜったいてきにしんじこみ、おもいこんでいる」という状態のことである。

 

こういう状態であれば、あたりまえのことではあるのだが、目のまえにあるげんじつ・ものごとについて、ありのままに、正確にみて、にんしきして、りかいすることなどできるわけがない。ぜったいにムリである。

 

このひとつだけが、ぜったいにただしいんだ。ほかのことは、かならずまちがっていると、狂信的に、つよくおもいこんでいるのであれば、それは、げんじつの状態・ものごとをみるときに、色メガネをかけてみていることになる。

 

クロい色をしたレンズのサングラスをかけているのであれば、目にうつるモノは、やはり、クロくみえるはずである。シロいモノであっても、クロくみえることになる。

 

狂信的なまでに、ただひとつのかんがえかた、かちかん、がいねんなどを、つよくしんじこみ、「コレだけがぜったいにただしく、ほかのモノは、すべてまちがっている」というスタンスでいると、やはり、目のまえにあるげんじつ・ものごとを、ありのままに、正確にみることは、まずふかのうになるであろう。

 

こういう状態は、「あらゆるものごとを、相対的にみて、かんがえて、にんしきし、りかいする」というスタンスと、まぎゃくといえるかもしれない。

 

そして、じっさいのげんじつの状態においては、つまり、じっさいのげんじつのセカイにおいては、あらゆるものごと・そんざいは、そのとき・その場の状態によって、イロイロと、へんかをしていくのである。

 

つまり、あるとき・あるばしょでは、それは有効的であり、効果のあるものごとであっても、とき・ばしょがかわってしまえば、有効的でなく、効果がない。むしろ、「ゆうがいなことであり、あっかしたり、わるいけっかをもたらすことになる」というケースも、おおいようである。

 

これは、じかんがたつことによって、がいぶのかんきょう・状況などがへんかしたときなどに、よくあることかとおもわれる。

 

たとえば、数十年まえにできたというルール・そしき・システムなどは、そのとき・そのばしょ・その状況においては有効であり、効果的に機能して、成果をだすことができていた。だがしかし、じかんがけいかしたことによって、がいぶのかんきょうがへんかした。そのために、かえって、たくさんのキケン・もんだい・トラブルをひきおこし、へいがいがおおきくなり、わるいけっかをもたらしている。というケースのことである。

 

なにかひとつのことだけを、狂信的にしんじこみ、そのひとつだけが、ぜったいにただしい。というスタンスでいると、「よのなか・しゃかい・せけんのへんか」というものが、みえず、わからなくなりそうである。