カタカムナの共鳴 -9ページ目

カタカムナの共鳴

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「イキモノ」 と 「モチモノ」 の間

古代中国に端を発する 五行説 は
机の上で勉強する というよりかは
感覚で知ることができます。

それぞれの関係性を見てみる。

まづ

木・火・土・金・水 の五つの要素に分かれ
自分はその中のひとつに入る。

例えば、自分が 木 の属性であれば、
それぞれの属性に対する感性が出る。

比較なので、自分よりも 木 寄りの人と
相対する場合は、自分が 木 から外れ
別の属性をもつ と解釈する。

一番、自分が 木 の属性が強い場合の
それぞれの感覚を見ていくと

木にとって
 水は自分を助けてくれる人
 火は自分が助ける人、燃やすための火種となる
 土は自分が上に立って伸びること
 金は斧で切り倒されてしまう天敵

となる。

さらにそれぞれ見ていくと

火にとって
 木は火種となって燃えるのを助けてくれる人
 土は燃やして土という仲間を増やす関係の人
 金は鋳造に属し、ドロドロに溶かして自分絶対優位となる関係
 水は火にとっての天敵で、火勢を弱められてしまう

誰を助けるか、誰にとって役立つか、という順番で
他の属性も見ていきます。

火は土を助ける、なので、土の属性から見ると

土にとって
 火は自分の仲間(土)をたくさん増やしてくれる人
 金は自分が粘り強い粘土となり固く成形するのを助ける関係
 水は川の流れを制御して流れる方向を決定づける優位性が出る関係の人
 木は根を生やされ自分にいくつもの穴をうがつ天敵

金にとって
 土は自分の形を決めてくれる、それ無しにはいられない深い関係の人
 水は自分を腐らせ、物質から命に変えられてしまう劣化性が出る
 木は細かく刻み生命から物質に本質を変えるほどの優位性が出る
 火は熱い温度で溶かされてしまう、流されてしまう天敵

水(慈愛)にとって
 金は冷たい物質から命を吹き出させる人
 木は毎日ジョーロで自らを捧げ、育てる人
 火は熱くなっている様を冷静に見つめるような関係
 土は自分の器となるような人で形を決めてくれる人


となっています。

ここまで見てくると、水 は 慈愛 の性質であることが分かります。

同じように振り返ると
 金 は 強靭 なさまだと分かります。
 土 は 細かく固めるような縁の下の力持ち的な役割の人
 火 は 土とは反対に表舞台に立つ主役
 木 は 舞台が生える脇役、小道具のような役割

このように
 変わりやすさ(水)、変わりにくさ(金)
 下地(土)、建物(火)、周りの風景(木)

という万物の属性を感覚で捉え
自らの関係性を 会った時の一瞬の感覚で 秤にかけ
その役に収まる ということをしている。

こういう 協力関係を築いていく
察知することは 日本人は ものすごく得意です!

注意点は
関係性を見た時
自分の存在が消える ということ。

五つを見ていると分かりません。
四つの相として見るのです!

自分を中心に置き、四つの相が出ます。
感覚で察知していきましょう!

相似象学会誌 第六号からの筆記文です。

 

  ↓  ↓  ↓

 

 直観は本能から派生した概念である。孵化したヒナ鳥は最初に見たものを「オヤ」とし、親についてゆきながら、雨風のしのぎ方、エサの取り方、見分け方、飛び方、敵から身を守るチヱを得る。ヒナ鳥は親鳥に面倒をみてもらひ、初めて一人前の鳥の本能を得る。このように本能は親から鍛えられて上達する。

 

 人の本能は過去に蓄積された経験知を元にしている。経験知を元に状況から行動までの刹那的な判断がパッと閃く。このような判断知(カン)は個体と外界との接点で働く「感受性」よりも多くの意味を察知する。

 

 何かを感じた時の「ムシの知らせ」とか「どうもあの人はムシが好かない」といふ「ムシ」は「アマナ-カムナ」のカカハリとして把握した。ムシではなく鳥の知らせでも良さそうなものだが「ムシ」といふ音感にふさわしい何か深いものがあると感じたのだろう。「ムシ」は「カムのシメシ」に通じ、「風の便り」より速く、ひそかに響く。

 

 ムシの知らせを受け取れるだけのカンを鍛え、教育に取り入れるのは、動物としての正しい在り方である。(現代人はロボットとかゾンビのようなもので、とても生き物としての感覚を持っているとは思えない。コロナ禍を見ても、無症状感染という言葉が流行ったことを見ても、生物としての勘の狂う度合いは常軌を逸している)

 

 内外の刺激はこれまでに蓄積された経験を元に触発される。氣持ちよい あぶない! 嫌な奴だ 一目惚れ といふものは考えて出るものではない。このような感情は動物全般に通じる。どんな意識レベルかによって左右されるものではなく、人間だけが特別優れているわけでもない。言い換えれば、意識に昇る前の段階でなされる判断なのである。

 

 すべての生き物は無意識レベルで刻々となされる判断知(カン)の支配下にあって生命活動を営んでいる。脳の働きも判断知の支配下にあって活動を続けているのは言うまでもない。

 

 判断知は動物本来が備える本能として反射的に働く。鍛錬を積むことで鍛えることも出来る。化学分析にも乗らない微妙な違いを嗅ぎ分ける。水の味、声の質、脈拍の変化を機敏に感じ取る。人の機微を細やかに感じ取る。そして既存の素材の上に新しい閃きを啓発する。判断知に相当する「カン」といふ和語には以上のニュアンスが込められているのだ。

 

 カタカムナでは「カン」の本性を「似たものでより分ける能力」としている。分け方を鍛えること。それによって諸々の事象に内在する型を定めていく。型には派生して出来た型と派生する前の型がある。派生する前の型を感じ取れるようになると「カン」度が良くなる。なぜなら、派生する前の型を知っていれば、それがどのような変化を遂げるのか? といふ疑問を抱かずとも、変化が起きる前にどう変わっていくのかが分かってしまう。(数学用語で「微分」という。僅かな変化を事前に察知し、事後を予測することである)

 

 先人たちは「カン」を鍛えるための道具としてヤタノカガミ、マガタマ、ツルギを残した。和語の成り立ちはヤタノカガミの図象にまで遡ることができる。これまでの学校の歴史では習ってこなかった紀元後の数百年間の和の国の歴史は謎に包まれていた。この頃、中国文明が流入し、漢語で文字を書く習慣が徐々に浸透していった。その前はどうなっていたのか? 見慣れぬ漢語を音読みと訓読みで読み分ける方法は? 苦し紛れに書いた万葉仮名の元になったものは? その答えは カタカムナ にある。

 

 和語に習熟することは動物としての「カン」を養うことに通じている。和語を間違いなく話すには「カン」が良くなければ不可能なのである。「カン(カム)」という発想を持たぬ中国人の作った漢語を和語に用ゐようと思うなら「カン」から出発し、自分たちのカン(観)じるなりに改変しなければならない。子どもが持つスナホな「カン」を損傷させてはならない。子どものような臨機応変の「カン」をもっと鍛えてゆこうといふ勉強方法を社会常識にしていれば、これほど狂うことは無かったのだ。「カン」とは「カム」をサトル性能である。「カン」の正体はアマナ-カムナのカカハリにある。

 

 「カン」はあらゆるものの本性に感応する。そして、あらゆるものの元となる型に似てくるといふ性質がある。すべての生き物が持ちカンじてゐる。カンじること無しには生きられぬ。まさに生きるための本能。生きていくためのチカラ。異質なものとオノレを真吊り合わせるためのチカラ。無意識にバランスをとる。

 

 そのため和人は和語の発祥となる「カン」の解釈を漢字の「思」の発想に留めてはおかない。「田」は大脳の働きであるし、大脳から「心」が生まれるといふ発想から作られた漢字だから。 < 思の成り立ち(リンク有り)> 「カン」は「カム」であり「考」の字に宛てた「カムカヘル」にまで起源を遡るべきである。人のオモヒは「カム」に帰り「カム」からふたたび(二度)孵るのが天の道。

いくら世界が絶望にひしめこうが
人を騙したり(コロナ)
馬鹿にしたり(軽いノリ)
嘲笑ったり(ダウンタウン)
することが流行ろうが

物語世界の中では
人と人の交流を描くことができる。

人と人の心の通い合う環境を
浮かび上がらすことができる。

どんな態度でも
そこに持ち込み
化学反応させ
新たなものを作ることができる。

物語世界に歴史を持ち込むことはナンセンス。

過去の失敗は引きづらずに
よい感じをもたらす展望をもち
物語を紡いでゆければ

現実の世界においても
もっと可能性のあるものとなるでしょう。

焦らず 急がず じっくりと取り組むのが
わたしのスタイル

思えば この感覚を 思い出すまでに
ずいぶんと 年を重ねたものだ

そういえば 小学校に 入学したての頃は
規律に 守られており

規律から はみ出さないように
生活するのが 基本にある

わたしが はみ出したと
肌で感じたのは

やはり 掃除の時間である

まだ問題を 解いている最中だ というのに
机を 片付けられてしまうから

おちおち 勉強もできやしない

常に 周りを 氣にし
周りに合わせて 生活するスタイルは
すっかり 身についてしまったが

 

もう 氣にすることは ないであろう

 

思い出した後となっては

イマタチから読み説く「マ」の思念

 

 

お休みすることを思念しています。

 

あまり活動していない状態のことです。

 

2023年2月7日 記

 

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器のことである。

 

また、意思疎通するための容れ物でもある。

やることを次々と思いつく状態を

 

 「降りてくる」

 

と表現します。



それと反対の状態は

 

 「乗っ取られる」

 

と表現します。

 



乗っ取られる とは

 則 る   と同じことで

云わば 法としての機能 を表します。



法を定める側としては

降りてくる状態は

とてもいやらしく

何とか そうでない状態

 

に持っていこうとします。



法というのは 万物の元 というような感じで

それがないと 何もできない

 

という感触をもたらします。



それで 何が降りてくるのか と云えば

考え が降りてきます。



ありとあらゆる たくさんの考えが 降りてきます。

地に足をつけて 歩き出すには

多くの人の 情熱的な導きが 重なる必要があります。

 

漢字で書くと
元々の意味が
失われてしまいます。

たとえば

 爪

と聞いて

一体、何のことか


 よく分からない

 

というように。


もちろん

 爪

の意味は分かりますよ。


あの

手 とか 足 の指の先にある 爪

のことでしょ?


でも
もともとの ツメ という

音の響きが持つ

 意味

があるのです。


それで

 爪

が 元は どんな意味から
来ているのかというと


 詰めてあるもの


から来ています。



手 や 足 の 指の先 に

固く詰め物をしたように
なっている部分を

 爪

と呼んだんですね。



それじゃぁ
他に

 冷たい

はどうでしょう。


これも
元は 同じ意味から来ています。

寒くて こごえるから

服を着こんで
體の内側をあったかく


 詰めたい

から来ています。


このように
言葉の音が
そのまま
意味を持ちます。

 

 

 

基本的に

やまとことば の音の意味を受け継いで

同じ音 は 同じ意味 を 持ちます。

 

 

 

他にも思いあたることがあったら

ぜひ コメント をお寄せください。

金のなる木 というフリーゲームをご存知ですか?

RPGツクールという自作できるツールで

パソコンがあれば、誰でもダウンロードして

遊ぶことができます。



貨幣経済のこの世の中にあって

お金の価値は

上がったり 下がったり

しますが

ゲーム内では 常時インフレ状態 になっています。



この手のゲームは

コンシューマー向きの一般向けに販売されるゲームとは違い

 提示された謎を解く

というおもしろさがあります。



当然 その謎を解けなければ 先に進めない

 とか

何回も同じことをする

 という

事態に直面し

行き詰まるわけですが

謎が解けなくても こうじゃないかな?

こうしたらどうなるんだろう?

という 思いつくことを

 色々と試してみる

楽しさがあります。



私も 小学校の頃は

ボードゲームを作って 遊んでもらったことがありますが

こういう ゲームを作る人がいてくれるだけで

この 退屈な日常を 楽しむことができています。



戦いが楽しくなければおもしろくない。

その 戦い という部分に

特にスポットを当てて

謎解きすることになります。



行き詰まったら どうすればいいんだろう?

うーん、こうしたらどうなるんだ?

という感覚を 味わうには

とても いいもの だと 思いました。



ゲームの作者は さりげなく謎を提示し

その解法を プレイヤーに解き明かしてもらい

 謎を解く 楽しさ

を お金もとらずに 提供してくれています。

時間の進み方は
 自分 と それ以外

で回転の方向が逆になります


カタカムナという方式で書く図では

 自分の回転の方向

を記述しており、

 左回りで時間が進み  →
 右回りで時間が逆戻る ←


時計の針が示す時間は
もちろん自分以外の時間の流れですので

 右回り(時計回り)で時間が進み
 左回りで逆戻ります



そして
カタカムナの方式で書く
時間に関する記述は

  ノ

が一番しっくりきます。




 

  カタカムナで書く「ノ」の記号



これは
「ク」という音声記号が
90度進んだ格好をしており

 自分の時間が進んだ

ということを表しています




 

  カタカムナで書く「ク」の記号




しかし 「ク」には片方しかなく
「ノ」になると


 両側の面が現れる

 

 

という特徴があります



「ク」でも両方あるタイプがあり
 それは「メ」のことです




  カタカムナで書く「メ」の記号




  體は電氣の信号で働きます

 自律神経は電氣回路の自立です



しかし この回路
 「ノ」か「メ」の
 どちらか一方 なのです


「ノ」が占有しているとき「メ」は隠れ
「メ」が占めているとき「ノ」は息を潜めています


時間が進むと物理現象がどうなるかというと

 広がる 溶ける 崩壊する

となり 柵の決壊を意味します



    古い和語では

柵のことを「ラチ」といいます


   ラチが開かない

 とは 柵が開かないことで
これ以上は(時間が)進まない

   という表現でした
 

悪いことしても
氣づかない人って
いますよね?


氣がつかない





カタカムナの「キ」といふ記号

 

 

 


これってどういうことかというと
氣がつくけど

 


払って落ちる



という状態なんです



それで
 漢字で  書けば
(感じて)



氣が憑かない



というのが
もっともしっくりキます




キてるでしょ

 

 

 

 

それで これが どうなると

 

 氣がつくのか

 

というと

 

 

 

がつくような状態

 

にすればいいわけです

 

 

 

火というのは

もちろん

あたたかいですよ

 

 

 

カタカムナの「ヒ」の記号