楽しかったことと苦しかったこと | カタカムナの共鳴

カタカムナの共鳴

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「イキモノ」 と 「モチモノ」 の間

初めに楽しいことがありました。
それは この カタカムナ文献 の読み解きです。

日本語を成り立ちとした
直観で感じる記号 兼 文字 に触れたのは
2016年末頃のことであり

当時は 吉野信子さんの本の紹介で
こういうものがあるんだと知りました。

日本語の一音には
意味があり
その意味を古代からつづく
日本のご先祖さまの末裔は
響かせており
その響きは現代にも続いてゐた。

響きについては
何らかの影響を人に
動物に
物に
形に
分け与えており
受けています。

その中で苦しかったことがありました。

それは自分の大切にしていた
 もちもの
が盗まれてしまったことです。

無形のもちもの


 ではありますが
  誰しも持っているものです。

実際に ものとしては
紙やコインになって
今も使われています。

しかし 最近では
電子的に管理することが
流行っているようで
持っているのか持っていないのか
分からないけど

情報として持っている

という形をとるために
株券やら債権やら暗号通貨として
知られています。

この形をとっている場合は
誰かに貸している形となり
自分では
この 無形なるものを
使うことが出来ない状態に
なっています。

代わりに預かっているけど
いつでも引き出せる場合は
通帳であるとか
クレジットカードになって

何か 替いもの をする場合は
実際に使われているものとして引き出すか
その証明となるカードを提出して
本人確認とし
預かりの会社に対して認めてもらう
という形をとっています。

とにかく
自分の持ち物ではありますが
使える状態 と 使えるが時間がかかる状態
に分けることができます。

それで
わたしの苦しかったことは
そのような形で
世間に出回っているものが
盗まれてしまったことです。

これには大変なショックを受けました。

そんなことができるのか?!

と最初は思いましたが
この周りの状況を感じるにつき

あぁ できるのか

と実感するに至りました。

できること と やっていいこと

は違います。
出来るからといって
やっていいわけではありません。

例えば
法律で認められているからといって
その法律の範囲内であれば

なにをしてもいい

ということにはなりません。

礼儀といいますか
モラルといいますか

こちらも無形ではありますが
会ったり 話したり するうへで
当たり前にわきまえていることを
逸脱してはいけないものです。

その逸脱かどうかは
直観で分かります。

この直観は
カタカムナ記号 とか 日本語 になります。

言えば伝わります。

意味が分かります。

どんな言葉を使っていようと
音には何らかの意味を必ず持っているものですし
意味があるからこそ
わたしたちは音として発信しています。

誰しもがそうです。

無形ではありますが感じることができます。

そして やってはいけないこと は
当然のことながら とがめられなくてはいけません。

誰か偉い人にとがめてもらう とか
国会議員 とか 警察官 とか 先生 とか
店長 とか 経営者 とか コンサルタント とか
そういう人に言ってもらうのではなく

一番 強く感じる 当の自分が
とがめる必要があります。

そうすることで そのとがめは
真の響きとなり
帰ってくるのです。

とても不思議なことが起きています。

こちらも無形ではありますが
感じてみてください。

なぜ脈があるのか なぜ息をしているのか
なぜ生きることができるのか

という疑問は
恐くて 誰も入れなかった 領分です。

ちょうど 自分の後ろに いつもついていながら

それを見ることができない

という無形のものが働き 実際に 生きて
声をあげたり 體を動かしたり 考えたり
しております。

そのとがめは もちろん 実際に
世間で通っている名前がありますから
その名前において
自分がやられたことを述べ
とがめるわけです。

わたしは 鈴木章太なる人物から
この無形のものにおける
無形であるが 自分の持ち物である
お金に関して
借用書をちらつかせ
現金として引き出させ
一時的にあずかるが
当の口約束で
配当を渡すというのは嘘で
実際に解約するとなると
自分(鈴木章太)の持ち物はないから
何も言わずに

逃げる

ということをしました。
一度 預かったなら それを返す約束をしていたとしても
それを 反故にできる という環境がありました。

そういう環境があるとして
みなさん
お金が無いからといって
誰かに借用書をちらつかせ
投資話を持ちかけ
お金を引き出させて
一時あずかり

都合が悪くなると逃げる

ということをやりますか?

わたしは とても やる気にはなりません。
よく 鈴木章太なる人物は
それを実行しようと思ったのか。

とにかく 世間からは
後ろ指を指されてしかりの人物なので
実際に 被害にあわれている方は
つながりましょう。

たとえば
私が警察に電話して
鈴木章太なる人物に
盗まれた人を
リストアップして

教えてくれ

と頼んでも
個人情報保護法だからできない
と言うでしょう。

誰のための保護?

逃げる人を保護して何になるというのだろう。
悪いことするから逃げるのであって
悪いことしてなければ

逃げる必要がない

わたしも逃げずに 自分の起きていることを
書いています。

あれ? おかしいな。

わたしは逃げていた?

わたしじゃない、鈴木章太が逃げているんでしょ?

わたしは逃げなくてもいいの。
それに 逃げてません というのを
ちゃんと伝えないといけないのです。

逃げるには 動機があり
その動機は

恐いから

というのが理由です。

犯罪に巻き込まれたと言うことは


恐いのか?

今までは怖かった
そういうことがあること自体が恐かった
なるべく関わり合いたくなかった

あれ?

関わり合いたくない

それって 自分で どうこうできるものじゃありません。

どうこうできないことは
考えることもないです。

なるようになります。