カタカヌナの謎 | カタカムナの共鳴

カタカムナの共鳴

―――――――――――――――――

「イキモノ」 と 「モチモノ」 の間

古代文字として伝わる「カタカムナ」

もちろん私も「カタカムナ」に夢中だし、
それを理解するための勉強もしている。

その勉強だって、机に向かってうんうん唸るような勉強ではなく、
心が踊ったり、ひんやりしたり、
喜んだり、恐れおののいたりしながら、
勉学を深めていくわけです。

このブログにも「カタカムナ関連記事」として、
いくつも書いている。

今日は8月もついに明けて、
9月ツイタチになってしまったわけだが、

このカタカムナという図、
一番初めの「ヒ」の文字の作り方が
なんとなく分かって、

ついに、ここに到達した。

「カタカヌナ」の謎を考えることに。



「カタカムナ」じゃないの?
と読んでいる諸君は言うかもしれない。

でも、実は「カタカヌナ」なのではないか?
という疑義を持っていた。

なぜこの疑義を持つに至ったのか、

それは、フェイスブックでお友達になった
どんぐりの源さんが
「カタカヌナ」と言い間違えていたのを
目にしたからだ。

言い間違いにしては、やけにしっくりくる。

音は自然の響きに基づき、
定められたもの、

という考え方が カタカムナ では定番である。

風だったら ヒュゥヒュゥ である。

だから、この言い間違いだって、何かの意味はある、
と密かに思っていたのだ。



カタカムナ は時空について、定めている。

私は、以前、時空を巡る映画について、
詳細に一場面ずつ取り出して、
文章にしたことがあるが
(このブログにも載せているが)

時空のうちの空とは何だろう?

と考えていた。



空とは「空間」のことではあるが、
今、見ている空間とは、別の空間があるのではないだろうか?

という考えに至った。



その考えだって、漠然と、以前から、ずっと思っていたわけで、
あえて言葉として出していなかったわけだが、
じっくりと、私は、もうひとつの空間について、
あれこれと考えていた。

もうひとつの空間は、今、私が見ている空間と
どのような関係があるのだろうか?



カタカムナ は 相似象を形成する という所から
端を発しているけれど、
もし相似する形とならなかった場合は、
どんなふうになっちゃうのだろうか?

という、ありもしないことを考えていた。



数学の問題を解くときに使われる方法であり、
その問題が真であることを証明するためには、
偽でないことを証明する、
という逆の発想で、

私は空間と空間の関わりについて
じっくりと考えていた。



もし似ていなかったら、
それは、とても似つかわしくなくて、
おかしなこと、ありえないことだと
素直な感覚で、思った。