かぐや降臨のずっとずっと前、この世では10000年くらい前でしょうか?
尊き想いの郷(モト)では、大胆な思想が流行り始めておりました。
その思想とは、自らを物質化させ直接的に世を司る事こそ、最終形の在り方であるとする思想です。
それは元をただせば結合時の誤りから生まれた邪乱(シャラン)に寄るモノでした。
どうゆう事かというと、位の近い想いが引き合うその間に、位の遠い想いが挟まれ結合してしまう、という事。
そうそう、魂同様に想いにも位がございます。
位の近い想いはやがて引き寄せ合い、そして一つとなります。その引き寄せられた想いの数が心(シン)の数となります。
邪乱が邪乱を重ね、邪想(シャソウ)となり、ついには物質化を志す渦悾(カコウ)にまで至らしめた訳です。
渦悾とは、邪教の様なモノの事です。
殆どが100以上の心を持つ渦悾の集団のチカラは凄まじく、御上(ミカミ)や神族(カミナリ)と直接交信出来るまでになりました。
そうして、三者の間でそれぞれの試みに対する密約が交わされたのです。
御上と神族は、尊き想いの郷物質化への合意。
尊き想いの郷と神族は、御上の司撤廃への合意。
御上と尊き想いの郷は、神族の司る霊(タマ)を一部精霊化また一部守護霊化への合意。
その中で唯一害が無く、世の為となっているのが、神族(カミナリ)の司る霊(タマ)、一部精霊化・守護霊化です。それは唯一邪乱(シャラン)に迷わされる事のない発想であったからだと推測されます。
現代に於いても神なる存在は崇められているのに対して、同格の御上や更に上の尊き想いの郷は、その存在すら知られていないのは、その所為ではないかと私は考えております。
当時の御上は司の後継者不足に悩まされておりました。
御上の務めはヒトの魂を不作為に宿すもの。とはいえ司に寄る干渉は世の安寧に欠かせないモノでした。けれども確かにかつて完全不作為に寄る世も存在し、そして何の問題もなかった事があるのです。
いいえ、それがこの世では通じない事くらい、当時の御上の司、ツマメ帝には分かっていたはず……。
当時、コヒリ妃様はまだ修行中でして、密約を交わされたのはツマメ帝。
御上の司の魂は約五億年かけて磨かれると言われています。然も魂の継承はありません。それに対してお務めは約三千年程度。これでは後継者不足も当然のことでしょう。
御上が誕生した頃は司の魂も無数に存在していました。それがだんだんと減って、辛うじて繋がる程度となっていたので、どの道限界にきていた事も否めません。
試みは一つの賭けだったのです。
もちろん一大事になる前に試みそのモノを中止する予定ではあったのです。
かぐやは何も知らされずに試みの対象に選ばれたのです。
尊き想いの郷からの試みの対象には、二つの条件がありました。
一つは、好奇心が強く想いの伝令速度が速い事。物質化には大きなエネルギーが必要で、大きな衝撃を生むには速度が必要なのです。
もう一つは、結合前の単心である事。物質化に伴い、御上の司の魂は心の数だけ必要になってしまうので、必然的に単心でなければならなかったのです。
試みの対象に選ばれた時、かぐやはその二つの条件を満たしておりました。
けれども、試みが実行される直前で初めての結合を果たしてしまったのです。
その事に気付いたモノはおりませんでした。
誰か気付いていれば、試みは直ぐに中止となって、この世は禍から免れたでしょう。
と同時にかぐやの苦しみと慈悲の歴史も無かったのです。
尊き想いの郷(モト)では、大胆な思想が流行り始めておりました。
その思想とは、自らを物質化させ直接的に世を司る事こそ、最終形の在り方であるとする思想です。
それは元をただせば結合時の誤りから生まれた邪乱(シャラン)に寄るモノでした。
どうゆう事かというと、位の近い想いが引き合うその間に、位の遠い想いが挟まれ結合してしまう、という事。
そうそう、魂同様に想いにも位がございます。
位の近い想いはやがて引き寄せ合い、そして一つとなります。その引き寄せられた想いの数が心(シン)の数となります。
邪乱が邪乱を重ね、邪想(シャソウ)となり、ついには物質化を志す渦悾(カコウ)にまで至らしめた訳です。
渦悾とは、邪教の様なモノの事です。
殆どが100以上の心を持つ渦悾の集団のチカラは凄まじく、御上(ミカミ)や神族(カミナリ)と直接交信出来るまでになりました。
そうして、三者の間でそれぞれの試みに対する密約が交わされたのです。
御上と神族は、尊き想いの郷物質化への合意。
尊き想いの郷と神族は、御上の司撤廃への合意。
御上と尊き想いの郷は、神族の司る霊(タマ)を一部精霊化また一部守護霊化への合意。
その中で唯一害が無く、世の為となっているのが、神族(カミナリ)の司る霊(タマ)、一部精霊化・守護霊化です。それは唯一邪乱(シャラン)に迷わされる事のない発想であったからだと推測されます。
現代に於いても神なる存在は崇められているのに対して、同格の御上や更に上の尊き想いの郷は、その存在すら知られていないのは、その所為ではないかと私は考えております。
当時の御上は司の後継者不足に悩まされておりました。
御上の務めはヒトの魂を不作為に宿すもの。とはいえ司に寄る干渉は世の安寧に欠かせないモノでした。けれども確かにかつて完全不作為に寄る世も存在し、そして何の問題もなかった事があるのです。
いいえ、それがこの世では通じない事くらい、当時の御上の司、ツマメ帝には分かっていたはず……。
当時、コヒリ妃様はまだ修行中でして、密約を交わされたのはツマメ帝。
御上の司の魂は約五億年かけて磨かれると言われています。然も魂の継承はありません。それに対してお務めは約三千年程度。これでは後継者不足も当然のことでしょう。
御上が誕生した頃は司の魂も無数に存在していました。それがだんだんと減って、辛うじて繋がる程度となっていたので、どの道限界にきていた事も否めません。
試みは一つの賭けだったのです。
もちろん一大事になる前に試みそのモノを中止する予定ではあったのです。
かぐやは何も知らされずに試みの対象に選ばれたのです。
尊き想いの郷からの試みの対象には、二つの条件がありました。
一つは、好奇心が強く想いの伝令速度が速い事。物質化には大きなエネルギーが必要で、大きな衝撃を生むには速度が必要なのです。
もう一つは、結合前の単心である事。物質化に伴い、御上の司の魂は心の数だけ必要になってしまうので、必然的に単心でなければならなかったのです。
試みの対象に選ばれた時、かぐやはその二つの条件を満たしておりました。
けれども、試みが実行される直前で初めての結合を果たしてしまったのです。
その事に気付いたモノはおりませんでした。
誰か気付いていれば、試みは直ぐに中止となって、この世は禍から免れたでしょう。
と同時にかぐやの苦しみと慈悲の歴史も無かったのです。
今回はここまで。
次回からいよいよ、かぐやの苦しみと慈悲の物語が始まります。
鄙虎猫蛇
