以前、「石清水八幡宮(前)」、「石清水八幡宮(後)」の2回に分けて、石清水八幡宮を取り上げたことがあるのですが、その折に載せていない画像や史料を、今日はご覧いただこうかと思っています。

 

 

 上画像は、貝原篤信「諸州めぐり南遊紀行」巻之上の挿絵。

 

 男山に「八まん宮」が描かれ、麓に「放生川」が流れています。

 

 慈円『愚管抄』*(1220年頃成立)巻一をみると、清和天皇の代に、

 

 此御時八幡大菩薩男山ヘ移ワタラセ給フ。大安寺ノ僧行教祈請奉渡之云々

 

 清和天皇の時、大安寺の僧行教が移し渡らせたのが起源で、さらに巻二、朱雀天皇の時、

 

 石清水臨時祭始マレリ。

 

圓融天皇の時

 

 八幡。平野行幸此御時ヨリ始マレリ

 

後三条天皇の時、

 

延久五年。元年己酉。四月十三日改元。八幡放生會此御時始ル。

 

 治暦五、己酉の年の四月十三日、延久と改元されるのですが、同五年(1073年)に石清水八幡宮で「放生會」が始まったようです。

 

 

 上画像は、現在の放生川。

 

 架かっているのは通称「たいこ橋」こと「安居橋」で、

 

 秋里籬島『都名所圖會』(1780年)によれば、

 

 放生會 は例祭八月十五日なり(略)

 放生川 八月十六日放生供養ありて、放生亭より魚鳥を放しける

 

ということなので、かつては8月16日に、魚鳥を放つ「放生会」が行なわれてたようですが、

 

 

現在は、9月15日の石清水祭の折、この橋から魚鳥を川に放つ「放生会」が行なわれているそうです。

 

 

 続けての画像は、「高良神社」。

 

 

 『徒然草』第52段に、「仁和寺のある法師」が、

 

極楽寺・高良などを拝みて、かばかりと心得て帰りにけり。

 

 

と書かれる高良社なのですが、戊辰戦争で焼失。 

 

 

現地に立つ案内板によれば、「仏教色は失われていますが、創建当初から位置は大きく変わっていません」。

 

 1884年に再建されたものだそうです。

 

 

 さて、今日最後の画像は、やはり徒然草に登場する極楽寺跡。高良社などとともに戊辰戦争で焼失し、仏教色のない、「頓宮」として再建されました。

 

 岡田精司『京の社ー神と仏の千三百年ー』(ちくま学芸文庫、2022年)によれば、九月十五日の早晩、男山山上の本殿から神輿の渡御があり、夕方に神輿が本殿に戻る「石清水祭」が営まれているそうです。

 

*『愚管抄』(岩波文庫、1949年)