先日、石水博物館(三重県津市)で、博物館登録50周年記念特別展「蔦屋重三郎と珠玉の浮世絵ー写楽・国芳・国貞・広重ー」を見てきました。

 

 

 

 特別展の会場は、1Fの第一展示室。

 

 

 注目はやはり、ポスターに「新発見の写楽!」「国内現存唯一!」、また入口のパネルに「国内唯一現存の写楽の浮世絵二点を初公開」と書かれる、写楽の役者絵二点でしょうか。

 

 

 上画像の懸垂幕では左下が、「三代目瀬川菊之丞の都九条の白拍子久かた」。

 それに対して右下は、「二代目中村仲蔵の荒巻耳四郎金虎」。

 

 9月6日付『中日新聞』によれば、いずれも寛政六年(1794)刊で、版元は蔦屋重三郎。

 富本浄瑠璃「鶯宿梅恋初音」の一場面を描いたもので、現存するのはいずれも世界で2枚ずつ、今回のものが3枚目で、国内で確認されたのは初めて。

 

 京都の柏原家から、川喜田半泥子が譲り受けたもの、とのことでした。 

 

 

 ところで、私が興味を引かれたのは、展示もされていた広重画「東都大傳馬街繁榮之圖」(上画像)。

 

 伊勢商人が軒を連ねる大伝馬町で、津の川喜田家は、木綿商を営んでいました。

 

 『日本芸林叢書』第八巻(六号館、1928年)所収の「異本名家略伝」の「川喜田自然齋」を見ると、

 

 川喜田半泥子の祖にて大傳馬町に木綿店を持ちたる伊勢商人なり名は光盛、幼名久太郎後世襲の久太夫を名乗る

 

 

川喜田久大夫家は、伊勢の豪商で光盛は第九代。

 

 

 第16代にあたる政令(号:半泥子)も、百五銀行頭取を務めるかたわら、陶芸や書画、俳句などよくする趣味人だったようで、

 

 

2Fの第二展示室は、所蔵品展「川喜田半泥子の作品と季節の館蔵品」でした。

 

 

 財団法人石水会館は、川喜田家の旧蔵資料を中心とし、1975年登録博物館、2010年に石水博物館と改称し、2011年に現在地に移転。

 

 香取秀真『還暦以後』(科野雑記社、1948年)に、

 

 四月一日千歳山に川喜田久太夫氏を訪ふ。妻同道。嘗て小鏡を依頼されたる事あり。幾年を経ぬらむか。陶工場を見る。主人全く陶工となり終りて土をねやす事、轆轤をあつかふ事すべて一人前の域に入る。

 

とあるので、千歳山は、陶工としての川喜田半泥子ゆかりの地。

 

やは土はろくろのうへに碗となり壺ともなりけりめぐるまにまに

 

 金工家であり、歌人でもあった香取秀真と半泥子との間で、どういう交流があったのかわかりませんが、

 

 この楼上より阿漕浦遙に見ゆ。

 

 当時、彼の山荘からは、阿漕浦が遙かに見えたようです。