今日は、運輸省観光局『観光施設便覧 1956年版』の画像を御覧下さい。
1956年はコルティーナ・ダンペッツオ冬期オリンピックやメルボルンオリンピックの年。
政治的には、スターリン批判やハンガリー動乱にスエズ動乱、日ソ共同宣言という激動の年。
また、日本の国連加盟の年であり、シベリア抑留者の最後の引き揚げ船が舞鶴に入港した年でもあることを考えると、ある種の転換点の年だったでしょうか。
当時は、航空網はまだ整備途上の段階。
鉄道が主要輸送機関だったのでしょうが、
興味深いのは、当時、東海道線ですら米原~京都間が非電化だったということ。
中央線も西線は非電化、東線も甲府~塩尻間は非電化で、
紀勢本線はまだ全通おらず、東線と西線が切れている状況でした。
ところで、私の趣味の登山史でいうと、現在は存在しない山小屋やキャンプ場があるのも興味深いところ。
例えば、伊吹山一合目には収容人員30人の「国鉄山の家」があり、藤原岳山頂には、三岐鉄道所有の収容人員100人で番人常住の「藤原山の家」。
野営場も、宇治山田市に朝熊キャンプ村,湯の山に近鉄管理の湯の山キャンプ村。
三重県のスキー場は、三岐鉄道西藤原駅下車徒歩二時間の「藤原」と、三重交通湯の山駅下車バス15分の「湯の山一の谷」の2カ所。
四日市に石油化学コンビナートもないので、夏になると霞ヶ浦や須賀浦、富田浜に海水浴場が開設されているという、1956(昭和31)年でした。








