(前回「御香宮へ」より続く)

 

 御香宮(京都市伏見区)を参拝した後、勧修寺(京都市山科区)に向かいました。

 

 

 上図は、『京伏合併記念伏見市誌(京伏合併記念會、1935年)より「伏見市全図」(一部)。

 

 「桃山駅」の北西に「御香宮神社 ⛩」が鎮座し、門前には東西に「御香宮門前町」。

 

 そして、その南には当時、「工兵第十六大隊」が駐屯していました。

 

 

 なお、桃山駅は、「奈良鐵道」の伏見桃山間の運輸開業に伴い、1895年11月3日の開業*。

 

 当時の所在地は、上図に見られるように、伏見市ではなく紀伊郡堀内村でしたが、伏見市とともに、1931年4月京都市に編入され、同市伏見区になりました。

 

 

 さて、京町通を北進し、

 

 

 秋里籬島『都名所圖會』巻五の挿圖「伏見墨染」に描かれているように、大和街道(京街道)は墨染で右・左折。

 

 さらに京都銀行墨染支店の先、セブンイレブンの角で、その大和(奈良街道)と分かれ、右折すると、

 

 

「勝運 馬の社」「藤森(ふじのもり)神社」が見えてきました。

 

 秋里籬島『都名所図会』巻五によれば、

 

 藤杜社 ふぢのもりのやしろ 墨染の北にあり。本殿の中央は舎人親王 東は早良親王、西は伊豫親王を祭る。また本朝武功の神を配祀し奉る。

 

 

 同神社(京都市伏見区深草鳥居崎町)の東には、京都教育大学(京都市伏見区深草藤森町)があり、

 

 

さらに坂を昇ると、1997年開業のJR藤森駅ですが、

 

 

私はその手前の「大津街道」に入り、

 

 

山科の勧修寺に向かいました。

 

 

 大岩山の北を名神高速道路に沿って進む道は、京都盆地と山科盆地の間を結ぶ、低いながらも峠越え。

 

 通称「勧修寺越」「大岩街道」なのですが、先述の「都名所圖會」巻五は、

 

大亀谷は藤の森より勧修寺を経て、山科追分に出づる街道なり。いにしへ此所に茶店ありて、容顔艶しき女あり。名をお亀と稱す。自然と所の名に呼んで大亀谷といひしなり。

 

ということで「大亀谷」と書いています。

 

 勧修寺 くわんじゅじ 大亀谷の艮の方なり 此所の名を勧修寺村といふ。當寺の宗旨は華厳に真言を兼ねたり。

 

 

 上画像は、その勧修寺の山門。

 

 次回はその勧修寺の画像をご覧いただこうと思っています。

 

 ここまでお読みいただき、ありがとうございました。

 

*『官報』1895年11月8日