(前回「御香宮から勧修寺へ」より続く)

 

 秋里籬島『都名所圖會』(1780年)巻五によれば、

 

 勧修寺 くわんじゅじ 大亀谷の艮の方なり 此所の名を勧修寺村といふ。當寺の宗旨は華厳に真言を兼ねたり。(略)延喜四年の建立にして本願は右大臣定方なり。東大寺の寺務にして、勧修寺御門跡と稱す。

 

 当時は「華厳に真言を兼ねたり」だったようですが、京都府山科村『山科探勝』(山科村、1913年)を見ると、

 

△勧修寺 亀甲山と號す。真言宗の本山。昌泰三年の創建、醍醐天皇の勅願所なり。(略)當寺は代々法親王の御住職にして勧修寺門跡と稱す。故山階宮晃親王殿下は、維新の際の御住職たりし。

 

で、真言宗の本山。

 

 

 門前の石柱には、真言宗山階派大本山勧修寺とありました。

 

 

 山門をくぐり、

 

 

拝観料500円払って境内に入ると、

 

 

 右手に入母屋造桟瓦葺の「宸殿」。

 

 

その奥には書院があり、

 

 

本堂。

 

 

 観音堂。

 

 

 

 いずれも建物内部の拝観はできなかったのですが、

 

 

 『都名所名所圖會』巻五によれば、

 

 氷室池 當寺の庭中にあり

 

 『山科探勝』によれば、

 

 林泉は幽邃にして蒼鬱たる樹木は、氷室池を圍み、

 

という池泉式の庭園。

 

 

 普段はがさつな私も、少しゆかしい気分になり、駅に向かいました。