(前回「勧修寺へ」より続く)

 

 

 紅葉に染まる勧修寺の名園を散策した後、

 

 

京阪電鉄の追分駅へ向かいました。

 

 

 勧修寺の門前には、

 

 

 「文化元 子 九月」(1804年、甲子)建立の道標。

 

 移設されている可能性もなくはないのでしょうが、

 

 「北 すぐふしみ(道?)」

 

 

 「南 右大津 左京道 是より二(?)」

 

 伏見から来た私は、ここを右手、大津方面に向かいました。

 

 

 山科川に架かる勧修寺橋を渡り、奈良街道に入ると、

 

 

 名神高速道路の高架をくぐった先に、「大宅一里塚」跡。

 

 

 現存するのは街道の西側だけですが、塚上には榎が繁茂。

 

 

 江戸時代の交通関連の遺構として、歴史的価値は高いのだろうと思います。

 

 

 「付近観光案内図」を見て、さらに北進すると、

 

 

新幹線の高架をくぐった先の民家に、

 

「ひだりおゝつみち」「みぎ うじみち」

 

という上画像の道標。

 

 

 山科川に架かる「音羽橋」を渡り、国道一号線を二度横断、音羽病院の前を抜けると、

 

 

地蔵尊の祠があり、

 

 

京都府京都市と滋賀県大津市の境界にある「追分」に出ました。

 

 秋里籬島『都名所圖會』(1780年)巻三に、

 

 追分は京師・伏見・大津の駅路なり。道分けの石に、「柳は緑、花は紅」の文字を刻む。

 

と書かれているように、ここは大津から来た旧東海道が京師と伏見への道に分かれる「追分」。

 

 現地に立つ(何代目ということになるのか)「道分けの石」に見える文字は

 

「ひだりハふしミみち」「みきハ京みち」

 

 

 また、『伊勢参宮名所圖會』巻一によれば「大津追分」で、

 

 追分 京と伏見へ別るゝ巷なり(略)札場あり

 

 当時は上図に見られるように、高札場もあったようです。

 

 さらに、秋里籬島『東海道名所圖會』巻一(1797年)に、

 

 京師大坂への別道なり。札の辻に道分の標石あり。

 

と書かれるように、札の辻には標石があり、

 

右の方は山科音羽村、音羽川、牛尾観音、白石明神、白石庵、妙見祠、勧修寺、大亀谷を越えて藤の森へ出づる。

 

 勧修寺から大亀谷を越えると藤の森であり、追分から伏見へ三里。

 私は今回、伏見から追分へという逆ルートを辿ったということになります。

 

 追分から伏見へ三里、大坂へ十三里、伏見より晝夜共に舟あり

 

 そして、この道は、いわゆる「東海道五十七次」の旧街道。

 伏見・淀宿・枚方・守口の四宿を経由し、大坂へ至る十三里については、これから追々歩いて行けたらと思っているのですが、さて、どうなるでしょうか?

 

 

 とりあえず、この日は追分駅から京阪に乗り、帰途につきました。