(前回「大坂街道(東海道五十七次:伏見から淀へ)」より続く)
上画像は、「孫橋」から見た、現在の淀水路。
旧山城の地誌として知られる白慧撰『山州名跡志』(1711年)巻之十三*によれば、
○孫橋 在淀町中。稱孫橋は、小橋と大橋との中にある謂也
その先は、寛永の付け替え以前の木津川河道で、
○大橋 在孫橋南。此所淀郷南の界也。橋、丑寅より申酉に渡る。下流木津川の末にして、西方桂川・伏見川の末と合して、入難波江也。中比此橋、今の所より一町餘北に有り。孫橋・大橋・小橋共皆是秀吉公の時設る所也。(略)今云古川條也。今此渡往還道は、南は八幡及其西に河内并大坂街道あり。
また、秋里籬島『都名所圖會』(1780年)巻五によれば、
今のごとく木津川を南に通ぜしは、秀吉公の御製作なり
○大橋 木津川の末にかくる橋なり。長さ百四十間なり
さて、その大橋を渡ると、旧綴喜郡美豆(みず)村。
同圖會をみると、
美豆 淀大橋の南爪の里なり。大坂街道にして、むかし美豆
の御牧として、厩あり
1935年、久世郡淀町に編入され、さらに1957年京都市に編入。現在は、京都市伏見区淀美豆町です。
さらに、先述の『山州名跡志」巻之十三によれば、
美豆 所名 在大橋南爪。其所有民戸。大路東南に行。東路如云上。南至八幡、及大坂街道也。
さて、その旧大坂街道を歩いていくと、
京阪電気鉄道の淀車庫が見えてきました。
1980年に深草車庫を廃し、淀駅の大阪方に新設。その後拡張工事が繰り返され、34本の留置線に車両収容能力320両という規模に**。
上画像は裏門から見た淀車庫。
本線沿いの長い敷地**が、同車庫の特徴でしょうか。
さて、河川改修により、かつての街道筋から外れることにはなったのでしょうが、宇治川に架かる「淀川御幸橋」を渡り、石清水八幡宮に向かいました。
上流方向に見えるのは、京滋バイパスです。
次いで、木津川に架かる「ごかうばし」を渡るのですが、
こちらで上流部に見えるのは、京阪電鉄です。
さて、両御幸橋を渡ると、
南詰に、上画像の「八幡市観光マップ」。
八幡(やわた)は、八幡山(男山)の山頂部に位置する石清水八幡宮の鳥居前町。
先述の「山州名跡志」巻之十三「綴喜郡」によれば、
八幡 地名 在美豆南八・九町許。去京師四里餘。則山城國
南界也。
○八幡山 在町西、山形亘東西。一名男山
○一の鳥居 在右同所。鳥居石柱南向 額八幡宮
東高野街道を少し南に歩くと、上画像の標石と「一の鳥居」が見えてきました。
*『大日本地誌大系』第16巻(雄山閣、1929年)
**京阪電気鉄道(株)鉄道事業部車両課「車両の保守管理ー車庫と車両検査業務の概要ー」、『鉄道ピクトリアル』No.822(2009年8月臨時増刊号)。











