上画像は、大和大路跨線橋から西方を見たもの。

 

 見えているのは、右手奥が京都タワー、中央奥に京都の駅ビルです。

 

 

 

  画像を撮影している間に、

 

 

東海道線の「新快速」、

 

 

次いで「東海道新幹線」が走り抜けていきました。

 

 さて、跨線橋を渡り、大和大路を北上し、

 

 

突き当たりを右折すると、

 

 

蓮華王院の南大門が見えてきました。

 

 1220年頃の成立とされる、僧慈円の史論書『愚管抄』*の第二「皇帝年代記」で「後白河天皇」を見ると、

 

 御願ニハ。法住寺ニ千手観音千軆。御堂號蓮花王院。此御建立也。

 

 また、第五に

 

 千手観世音千躰ノ御堂ヲツクラント思召ケ。清盛ウケ玉ハリテ備前國ニテ造リテマイラセケレバ。長寛二年十二月十七日ニ供養アリケル(略)コノ御堂ヲバ蓮華王院トツケラレタリ。

 

と書かれているので、長寛二年(1164年)、後白河天皇の発願により平清盛が造営した、ということになるでしょうか。

 

 ただし、建長元年(1249年)に焼失。現在の建物は文永三年(1266年)の再建だそうです。

 

 さらに、豊臣秀吉により、南大門や太閤塀が築造され現在の姿に。

 

 

 上画像は、秋里籬島『都名所圖會』(1780年)巻之三より挿圖「蓮華王院 三十三間堂」。

 南大門から連なるのは太閤塀で、その南が塩小路通。

 

 一方、三十三間堂の西は大和大路で、そこを右折する家並みは、七條通ということになるでしょうか。

 

 黒川道祐『雍州府志』(1686年刊)の巻四(寺院門 愛宕の郡)**を見ると、

 

 蓮華王院 世に三十三間堂と謂う。後白河の院の本願にして、千手観音の像一千体を安置す。 

 

 私が三十三間堂を訪れたのは、おそらくは修学旅行以来。

 

 

 

 内部の撮影が禁止されているので、像一千体の画像はないのですが、当時も壮観というか、整然と並ぶ千手観音に圧倒されたような記憶があります。

 

 

 ちなみに、本尊「千手観音坐像」(湛慶作)やその左右に立ち並ぶ「千手観音立像」、「風神雷神像」、「二十八部衆立像」、さらに本堂も、「国宝」。

 

 

 

 国指定文化財等データベースによれば、「蓮華王院本堂(三十三間堂)の所在地は、「京都府京都市東山区東大路通渋谷下る妙法院前側町」。 

 

 詳しい経緯はわかりませんが、『雍州府志』**に、

 

 妙法院 鳥部山の下に在り。天台門主の随一なり。山上に日吉の社あり。故に、或いは新日吉の問跡と称す。豊国、并びに大仏殿、及び蓮華王院、今、この門主の有たり。

 

と書かれているので、方広寺とともに近世、天台宗の門跡寺院、妙法院の所有となったようです。

 

 (なお、次回の投稿は1月14日、「豊国、并びに大仏殿」の予定です。今日も、ここまでお読みいただき、どうもありがとうございました。)

 

*慈円『愚管抄』(岩波文庫、1949年)

 

**黒川道祐『雍州府志 近世京都案内(上)』(岩波文庫、2002年)