(前回「伏見稲荷へ」より続く)
「伏見稲荷大社」を出て、この日の次の目的地、東福寺に向かいました。
上図は、「最新京都電車案内圖」(部分)。
現在の「伏見稲荷大社」は、当時「稲荷神社」。
「伏見稲荷」という京阪電車の駅名も、当時は「稲荷」。
また、当時は、京都市電伏見線の勧進橋から分岐して「稲荷」電停に向かう稲荷線もありました(1970年、伏見線とともに廃線)。
それとは反対に、現在あるのに当時ないのは、奈良線のJR藤森駅と東福寺駅。
JR藤森駅は1997年、東福寺駅は1957年の開業です。
さて、現在は稲荷駅からJR奈良線に乗れば、一駅で「東福寺」、京阪電車でも二駅で「東福寺」なのですが、私は、稲荷駅前から歩いて、東福寺に向かうことにしました。
東福寺の所在地は、京都市東山区本町15丁目。
本町通を右折し、南大門から東福寺境内に入ると、
大きな三門が見えてきました。
続けては、1347年の再建という国重文の「禅堂」。
近世山城の地誌として知られる、黒川道祐『雍州府志』(1686年刊)巻五「寺院門 紀伊郡」*を見ると、
東福寺 慧日山と号す。稲荷山の北に在り。洛陽禅刹五山の第四位也。開基は、円爾、則ち所謂聖一国師なり。曾つて九条の相国、道家公、城東に於いて大伽藍を創す。
京都五山の第四位の大伽藍であり、
嘗つて曰えらく、我、洪基を東大に亜ぎ、盛業を興福に取る。故に東福寺と名づく。
南都の東大寺と興福寺から名をとり「東福寺」と名付けられた。
上画像は、秋里籬島『都名所圖會』(1780年)**の挿圖「東福寺」。
三門や禅堂、勅使門や六波羅門などは現存しますが、本堂や法堂は1881年の火災で焼失。
現在の本堂(仏殿兼法堂)は、1939年の再建。
方丈は1890年の再建で、
正面の唐門は1909年の造営。
庫裏は1910年の再建だそうです。
紅葉の時期には観光客で賑わう東福寺も、この季節は、静かな禅寺の風情。
境内をしばらく散策した後、中門から、伏水街道(本町通)に出て、
東福寺駅に向かいました。
*黒川道祐『雍州府志 近世京都案内(上)』(岩波文庫、2002年)
**『新訂 都名所図会2』(ちくま学芸文庫、1999年)












