(前回「中山道柏原宿」より続く)

 

 

 中山道を柏原宿から、次の今須宿に向かいます。

 

 

 上画像は、「柏原宿脇本陣跡」。

 

 

 続けては「問屋場跡」と「東の荷藏跡」。

 

 

八幡神社。

 

 

 同神社には芭蕉の句碑があり、

 

 

 其のまゝよ 月もたのまし 伊吹山 桃青

 

 大垣の高岡斜嶺邸を訪れた際の挨拶句ということになるのでしょうが、

 

 

 

八幡神社の裏手からは、東海道本線の線路越しに、伊吹山が大きく見えていました。

 

 

 さて、「東の見付跡」は、柏原宿の東の入口。

 

 

何やら曰くありげな「照手姫笠地蔵」に手を合わせ、

 

 

疾走する東海道本線の脇を抜け、

 

 

踏切を渡ると、長久寺集落に出ました。

 

 

 ここは貝原益軒の1687年の紀行『岐蘇路記』に、

 

 今洲と柏原の間に、長久寺といふ小里あり。是美濃と近江のさかひ也。車がへし共いふ。両國より家をちかく作りならべ、其間に小溝をひとつへだつ。國をへだてゝ寝物がたりをするといふ。此ゆゑに此所をねものがたりとも云。

 

と書かれる「寝物語の里」。

 

 

 大田南畝『壬戌紀行』(1802年)に、

 

名におふ寝物語といふ所は、人家の間三尺ばかり隔てゝ美濃と近江の境なり。

 

 また、秋里籬島『木曾路名所圖會』(1805年)にも、

 

寝物語里 こゝは近江美濃の國界なり。長久寺村にあり。

 

とあるように、近江美濃国境の里でした。

 

 

 上画像は同圖會の挿圖「寝物語里」。

 

 里の中央に「江濃両國境」「寝物語」という棒杭が描かれています。