(前回「中山道:新加納から鵜沼宿へ」より続く)
「西の見附跡」から坂を下り、鵜沼宿に入ります。
鵜沼はぎふ中山道17宿の一つで、江戸から数えて52番目の宿場町。
旧家の修復、電線の地中化や案内板の設置などの修景工事が行われ、
往時を偲ばせる町並みを見ることができます。
1930年頃の建築という「安田家住宅主屋」(国登録有形文化財)。
その東隣には「梅田家住宅主屋」(国登録有形文化財)。
その東隣も「梅田家住宅」なのですが、旧鵜沼宿で唯一近世に遡る町家建築(国登録有形文化財)。
こちらは二階に卯建があがっています。
さらにその東隣には、1894年建築という「坂井家住宅主屋」及び「門」(国登録有形文化財)。
こちらは、脇本陣を務めた坂井家を復元したもの。
主屋の二階には卯建があがり、脇本陣の格式を感じさせる門と、
その右手には芭蕉の句碑も。
左から「汲溜の水泡たつや蝉の声 桃青」
左奥に「はらなかや ものにもつかず 啼くひばり 芭蕉」
中央は「ふく志るも 喰へは喰せよ きく乃酒」
右側「更科紀行首途の地 おくられつ送りつ果ハ木曽の秋 芭蕉」。
さて、中山道を東に歩いていくと「鵜沼宿本陣跡」。
中山道をはさんだ対面には「菊川酒造本藏」(国登録有形文化財)。
また、鵜沼宿本陣跡の道をはさんだ東隣には、「武藤家住宅主屋」(中山道鵜沼宿町屋館)と、
養蚕小屋だったという附属屋(ともに市指定文化財)。
道をはさんだ向かいには、移設された旧大垣城鉄門(市指定文化財)。
大安寺大橋の東詰には、
「太田町二里八丁」という標石。
国道21号坂祝バイパスを渡ると、北東角に復元された高札場。
かつては、赤坂神社の参道入口に近い
鵜沼東町ふれあいセンターあたりにあったようです。
さらに東に歩いて行くと「東の見附跡と赤坂の地蔵堂」の案内板。
中山道は、ここを左折し、
うとう峠に向かうのですが、私は県道27号(旧国道41号)に出て、
名鉄新鵜沼駅へ。
名鉄各務原線に乗って、帰途に就きました。