(前回「旧東海道:高塚駅から天竜川駅へ」より続く)
上画像は、JR東海道線天竜川駅。
続けて上画像は、橋上駅舎である同駅の南北自由通路から、上り東京方面を見たもの。
かつては天龍川駅~天龍川岸半場を結ぶ「天龍運輸株式會社」2.6粁の「専用鐵道」がありました*。
さて、旧東海道に入り、東進します。
上画像は、薬師町に残る松並木。
さらに、旧東海道を進んでいくと、安間町に、金原明善生家がありました。
本多隆成・酒井一編『街道の日本史30 東海道と伊勢湾』(吉川弘文館、2004年)によれば、
金原明善(1832~1923)は遠江国長上郡安間村(浜松市安間)に生まれる。父は酒造業および質屋を営み、約70町歩の大地主であった。
金原は天竜川の治水事業(治河協力社、土功会)に取り組み、当時は考えられなかったことであるが、天竜美林の守り手として植林事業に取り組み、その成果を生かして天城山地の植林事業にも関わった。
彼は社会事業家であり、
山林伐採とその搬出も山林を育てる上で重要な事業であるが、彼は天竜運輸会社を設立している。
先述の天竜運輸会社の創立者でもありました**。
さて、東海道を東に進み、中野町に入ります。
上画像は「東海道松並木跡」。
続けては、松林寺。
十返舎一九『東海道中膝栗毛』を見てみると、
舟よりあがりて建場の町にいたる。此所は江戸へも六十里、京都へも六十里にて、ふりわけの所なれば、中の町といへるよし
けいせいの道中ならでは草鞋がけ茶屋にとだへぬ中の町客
また、『東海道名所圖會』巻四によれば、
京江戸行程同里 町屋村をいふ。又中之町ともなづく。天龍川の西端なり。
中の町は、旧東海道の中間地点であり、天竜川右岸(西岸)の町。
天竜川の堤防上には、六所神社が祀られています。
堤防沿いに横町通りを進んでいくと、
国道一号線新天竜川橋の西詰に、ポケットパーク。
橋を渡っていくと、下流方向に、東海道線の天竜川橋梁が見えていました。
東海道線の静岡浜松間は、1889年4月16日の開業。
それに対して、旧国道一号の天竜川橋は1933年の完成***です。
*鐵道省監督局調『地方鐵道及軌道一覧 附専用鐵道 昭和十年四月一日現在』(鐵道同志會、1935年)
**丸運株式会社のウェブページ「歩み」及び一般財団法人金原治水地山財団のウェブページ「事業史」による。
***国土交通省中部地方整備局浜松河川国道事務所のウェブサイトより「天竜川に橋を架ける」