先日、浜松周辺の旧東海道を、少し歩いてみました。

 

 

 この日の出発点は、JR東海道線高塚駅。

 

 1929年7月1日に開業しました*。

 

 

 高塚という名の謂は、駅前の高塚熊野神社でしょうか。

 

 

 慮橘堂適志『東海道巡覧記』を見ると、

 

 高塚村 左に大蓮池有濱松領 右寶蔵寺こんけん社酒店有

 

ということなので、かつては「(熊野)権現社」だったのかもしれません。

 

 

 上画像は、浜松市南区増楽町、国道257号(旧東海道)沿いにある、秋葉常夜灯籠。

 

 『東海道巡覧記』によれば、高塚村ー増樂村ー若林村ー▲下り立場ー●一里塚ー鳥井縄手の順で、

 

 

 上画像は、南区若林町の高札場跡と馬頭観音。

 

 

 続けては、若林一里塚跡です。

 

 ところで、先ほどの『東海道巡覧記』によれば、

 

 七軒町 入口也

 

なので、現在の菅原町あたりが、浜松宿の入口だったということになるでしょうか。 

 

 ただ、残念なことに、本多隆成・酒井一編『街道の日本史30 東海道と伊勢湾』(吉川弘文館、2004年)に、

 

 先の大戦時の空襲により、近世城下町の町割や景観は、すっかり失われてしまった。

 

と書かれているように、都市化も進んで、近世の景観は失われたのでしょうが、

 

 しかし、現在も連尺町・伝馬町・旅籠町などの町名はかなり残されている。

 

 旅籠町・伝馬町を過ぎて、連尺町交差点を右折し、国道152号を東進すると、

 

 

浜松駅前の高層ビル「アクトシティ」が見えてきました。

 

 

 さて、馬込川を渡り、かつての浜松宿を出ます。

 

 先ほどの『東海道巡覧記』によれば、天神町村ー植松村ー六間茶やー永田村の順。

 

 

 上画像は、浜松市「植松原」の道標。

 

 『東海道名所圖會』巻三によれば、

 

 植松原 濱松の東植松村をいふ。室町将軍富士見下向の時、堯孝僧正の歌に、

 

千世ふべき種をや君にゆずらなんけふわけすぐる植松の原

 

 

 続けて上画像は、県道312号線沿い、浜松市和田町(旧長上郡橋田村)にある「浜松アリーナ」。

 

 

天竜川駅入口交差点を右折すると、

 

 

JR東海道線天竜川駅が見えてきました。

 

 

 中泉濱松間に、天竜川駅が新設されたのは、1898年7月10日**です。

 

*『名古屋鐵道局 昭和4年度年報』(名古屋鐵道局、1930年)

 

**『官報』1898年7月6日