(前回「旧東海道 舞坂宿」より続く)

 

 舞阪を出て、次の浜松宿に向かいます。

 

 

 

 国道301号線を横断すると、

 

 

約700mに渡って、松並木が続くことになります。 

 

 

 現地に立つ舞阪町・舞阪町教育委員会の石碑によれば、現在の株数は約330本。

 

 

 1938年の国道付け替えの際、堤を崩し、両側に歩道を付け、現在の姿になったようです。

 

 

 さて、舞阪の松並木が終わると、

 

 

次は、馬郡村。

 

 

 ここは、大田南畝『改元紀行』(1801年)*に、

 

 馬郡の立場を過て、

 

と書かれるように、かつて立場がありました。

 

 

 また、盧橘堂適志編『東海道巡覧記』によれば、舞阪一里塚の先は、馬郡村~坪井村~篠原村~一里塚~高塚村で、

 

 

篠原交番前の筋向かいには「一里塚跡」。

 

 

 同巡覧記によれば「右松左榎木」であり、

 

 

また、篠原村は「登り下り立場也」。

 

 

 現地に立つ案内板によれば、「ここは立場本陣とも言われ」で、「明治元年(1868)に明治天皇が御小休された」。

 

 明治天皇聖蹟保存会編「明治天皇行幸年表」(大行堂、1933年)で、「明治元年十月」を見ると、

 

二日(濱名湖御渡船舞坂御上陸)

 舞阪 同舞坂町 本陣宮﨑傳右衛門宅御小休

 坪井 同篠原町 川合治助畑御野立

 篠原 同 同  本陣鈴木喜兵衛宅御小休

 增樂 同可美村 松林御野立

 

と書かれていました。

 

*『蜀山人全集』巻一(吉川弘文館、1907年)