(前回「旧東海道 新居から舞阪へ」より続く)

 

 

 上画像は、『東海道名所圖會』の挿圖「今切」(右部分)。

 

 舞坂 前坂とも書す。いにしへは、舞澤あるひは舞澤松原といふ。(略)荒井よりの渡船舞坂に着岸す。

 

 舞坂は、旧東海道五十三次の宿場町にして、新居(荒井)との間を結ぶ渡船場で、

 

 

 湊には、「雁木」と呼ばれる石を水際まで敷きつめた船着場が残ります。

 

 大田南畝『改元紀行』(1801年)を見ると⁎、

 

 舞坂の宿はわづかばかりの所にして、今切の渡しにかゝれり

 

 あまり大きな宿場ではなかったのかもしれず、

 

 

本陣も現存しませんが、

 

 

脇本陣の書院棟が残るのは貴重。 

 

 

 仲町の常夜燈は、文化10(1813)年の建立で、竿には「秋葉大権現」「両皇太神宮」「津嶋牛頭天王」の文字。

 

 

 新町の常夜燈も同じ文字ですが、

 

 

 こちらは文化12(1815)年の建立。

 

 

 舞阪宿では、文化6(1809)年に、宿場の大半を焼く大火があり、これをきっかけに火防の秋葉信仰が広がったそうです。

 

 

 さて、一里塚趾を見て、さらに東進すると、

 

 

「見付石垣」が見えてきました。

 

 ここが舞坂宿の東入口。この後、旧東海道は、国道301号線を横切り、馬郡町から浜松城下に向かうことになります。

 

⁎『蜀山人全集』巻1(吉川弘文館、1907年)