上図は、1938年発行の五万図「水口」。

 

 北東から南西に走っているのが「近江鐵道」で、右上に「みなくち」駅。


 それに対して、東南東から西北西に続く街村は、旧東海道「水口宿」です。

 

 水口は、五十三次の宿場町で城下町。

 

 東海道をはさんで西に「水口城址」、東に「古城山」(「水口岡山城跡」)があります。

 

 なお、古城山の半腹の「卍」は、先日このブログで取り上げた芭蕉句碑がある「大岡寺」。

 

 この日は、水口駅で下車し、大岡寺に寄った後、旧東海道を石部宿まで歩きました。

 

 

 さて、旧東海道は水口宿で、三筋に分かれるのですが、

 

 

 

 私は、「いまむら呉服店」の角から、

 

 

中央の筋へ。

 

 

 再び、からくり時計がある角で、三筋が合流。

 

 

左手に「水口石橋駅」が見える、近江鉄道の踏切を渡ると、

 

 

天王町の曳山蔵がありました。 

 

 水口祭は、水口神社の祭礼。現在は16基の曳山があるそうです*。

 

 

 

 続けては、日本基督教団水口教会。

 

 

 現地に立つ水口町教育委員会の案内板によれば、ヴォーリズ設計事務所の設計で、1930年11月の建築**。

 

 礼拝堂と門柱が国の登録有形文化財です。

 

 

 

 さらに進んで、水口宿の西の端に設けられていたのが、「西見附」。

 

 「京口」と呼ばれ、木戸や番所が置かれていたようです。

 

 

 上画像は、『伊勢参宮名所圖會』(1797年)の挿圖「水口」(部分)。

 

 「西見附」は、番所らしき屋根や木戸が描かれているあたりでしょうか。

 

 同図会の本文に、

 

正八幡宮社 水口木戸の外を林口といふ

 

と書かれているので、木戸の外の家並は「林口」ということになりそうです。

 

 

 上画像は、西林口の街道筋にある「美冨久酒造」と、柏木神社の鳥居。

 

 柏木神社は、柏木御厨の惣社。近世以前は「若宮八幡宮」と称していました***。

 

*甲賀市水口歴史民俗資料館展示解説シートNo.1


**奥村直彦『ヴォーリズ評伝 ―日本で隣人愛を実践したアメリカ人—』(新宿書房、2005年)によれば、「水口基督教会館」の献堂式は、1930年11月3日。

 1938年においては、近江基督教慈善教化財団所有であり、宗教教育や幼稚園、学術文化講演会といった事業を行っていたようです。

 

***甲賀市水口歴史民俗資料館解説シート「水口—受け継がれた祈りの記憶—」(2022年)