今日は、1927年鐡道補入の五万図「長嶋」の画像を、何枚かご覧いただこうかと思います。
一つ目は、三重県度会郡大内山村の「おほうちやま」駅。
当時、紀勢東線の終点は大内山でした。
伊勢柏崎~大内山間が鉄道営業を開始したのは、1927年11月13日*なので、それを補入すべく、この五万図「長嶋」も発行されたということになるのだろうと思います。
次は、「ツヅラト峠」。
度会郡大内山村と北牟婁郡赤羽村の境界にある標高357mの峠です。
境界線が「郡市」ではなく「國」になっていことからわかるように、かつては、旧伊勢国と紀伊国を結ぶ熊野街道が、この峠を越えていました。
そして最後は「荷坂峠」。
「ツヅラト峠」を越えていた熊野街道を、江戸初期、紀州藩が荷坂峠道を整備し、本街道としたそうです**。
標高242.35mと、ツヅラト峠に比べれば低いものの、熊野街道の難所の一つ。
この時代には、上図に見られるように、峠から西へ南へと大きく屈曲する新道が開かれていました。
しかし、その新道も現在は通行止め。
国道42号線は、1967年に開通した荷坂トンネルで、峠の下を抜けていきます。
上図に見られる標高242.35mの荷坂峠の水準点(金属標)は現在も設置されていますが、
上図で旧道の途中にある標高147.96mの水準点(標石)は現存するものの、現在の地形図には描かれていません。
水準点は、主要な道路沿いに設置されるもの。
旧道になり、水準点も廃点になった、ということになるでしょうか。
*『官報』 第259號(1927年11月8日)
**三重県広聴広報チーム『県政だより』NO.228(2003年7月号)