先日、熊野古道の荷坂峠に行きました。

 

 三重県広聴広報チーム『県政だより みえ』No.228(2003年7月) によると、

 

 かつての伊勢の国と紀伊の国とを結ぶ標高241メートルの峠が、荷坂峠です。

 

 元は「ツヅラト峠」を越えていたものを、江戸初期、紀州藩が荷坂峠道を整備し、本街道としたそうです。

 

 

 また、『県政だより みえ』の同号によると、

 

 荷坂峠の名の由来は、記録によると「牛馬の通し難く人に荷を負わしめる故」とあります。

 

ということで、

 

 

登り口から、いきなり急坂が始まります。

 

 

 ただ、途中で何度も「明治道」が交差したので、

 

 

始神峠と同じように、明治時代に荷車を通すべく、改良工事が行われたのかもしれません。

 

 

 上画像は、峠道の中腹にあった古い水準点(標高149.1m)。

 

 かつてはこの荷坂峠「明治道」が、この地方の主要道路だったということになります。

 

 

 ところで、その水準点脇の道標(上画像)から、左に入ると、「沖見平」。

 

 

 

 書かれていたのは、1796(寛政八)年鈴木牧之の句で、

 

 長嶋や 世を遁るなら 此のあたり 

 

 

 長島港や、沖合の熊野灘を見る事ができました。

 

 さて、再び、峠道に戻り、

 

 

一登りすると、荷坂峠に到着。

 


 峠にはかつて、石仏が三体あったそうですが、

 

 

道路改修工事のため、大内山村河内地内に移設。

 

 また、かつては茶店もあったようです。

 

 

 

 峠には伊勢(大内山村)側から林道が通じており、5分程の下りで、国道42号線に出ました。

 

 

 さて、この日の昼食は、「道の駅 紀伊長島マンボウ」のお食事処で「渡利の弘法かきフライ定食」(上画像)。

 

 地元紀北町の白石湖で養殖されたカキだそうです。