以前、このブログ「クロンボー(デンマーク)」で登場したHelsingørから電車に乗ると、50分ほどで、コペンハーゲンに到着します。
コペンハーゲンの綴りは、københavn。
新谷俊裕・大辺理恵・間瀬英夫編「デンマーク語固有名詞カナ表記小辞典」*によると、現地音に近い表記は、「クベンハウン」だそうです。
さて、そのコペンハーゲン出身の有名人と言えば、彫刻家のトーヴァルスン、物理学のニルス・ボーア、そして哲学者キルケゴールあたりでしょうか。
コペンハーゲンには、1848年開館の「トーヴァルスン美術館」、1921年完成の「ニルス・ボーア研究所」があります。
では、キルケゴールはと言うと、
王立図書館の前庭に、彼の銅像がありました(上画像)。
台座に見える「KIERKEGAARD」ですが、kirkeは英語のchurch、gaardは英語のgarden**。
前掲の小辞典によると、現地音は、キアゲゴーのようです。
ところで、キルケゴールは生前、著書を43冊、公刊していますが、処女作は『いまなお生ける者の手記より』(1838年)。
H.C.アンデルセンの小説『さびしきバイオリン弾き』に対する批評なのですが、王立図書館のウェブサイト「Manuscripts from the Søren Kierkegaard Archive at The Royal Library」の「H.C.Andersen」に、次のように書かれていました。
It was also said that only Kierkegaard and Andersen had read the whole book.
当時、この本全体を(始めから終わりまで)読んだのは、キルケゴールとアンデルセンだけと言われた。
sophomoric で long sentence、 非常に読みづらい文章だったようです。
大谷愛人「キルケゴールによるアンデルセン批評の歴史的背景」***も、
この著作の文体に関する限り、非常にひどいものであることを認めてよいであろう。
と書いています。
それはともかく、國分功一郎「はじめに―キルケゴールへと向かう様々なルートを求めて-」****によれば、
キルケゴールはかつて、哲学や文学に関心のある者なら誰もがその著書を手に取る、そんな哲学者であった。
というだけの重要人物。
小川圭治『人類の知的遺産48 キルケゴール』(講談社、1979年)によると、ヨーロッパの思想界に「キルケゴール・ルネッサンス」と呼ばれるブームが訪れたのは1920年代、日本では昭和20年代だったようです。
ただ、国分功一郎氏が続けて、
しかし今ではその著作が読まれる機会は本当に少なくなっている。
と書いているように、時代は変化、彼のあまり読みやすくはない文章を、無理して努力して読むだけの意味合いが無くなって来ているのかもしれません。
キルケゴールは、裕福な家庭に生まれ、父親から多額の遺産を相続したものの、ほとんど無一文に近い状態で、孤独な死を迎えることとなり、今日、その著作が読まれる機会は本当に少なくなっている。
それに対して、貧しい家庭に生まれたアンデルセンは、キルケゴールには酷評されたものの、その著書は今日も世界中で読まれ続けている。
皮肉(イロニー)な話になってしまいましたが、明日は、オーデンセ出身ながら、Helsingørにもコペンハーゲンにもゆかりの人物ということで、そのアンデルセンについて何か、書いてみたいと思います。
もしよろしければ、また、お付き合い下さい。
*大阪大学世界言語研究センター デンマーク語・スウェーデン語研究センター『北欧研究 別冊』第二号(2009年)
**斎藤信治「解説」、キルケゴール『死に至る病』(岩波文庫、1957年)
***三田哲學會『哲學』NO.40(1961年)
****『現代思想』vol.42-2(特集キルケゴール、2014年2月号)