先日、愛知県碧南市へ行きました。

 

 碧南へ行ったのは二度目で、一度目は中部電力碧南火力発電所。

 

 衣浦大橋を渡って、地元の方が言う「産業道路」を走ったのですが、豊田自動織機・日新製鋼・トヨタ自動車・アイシン精機・昭和シェル石油と大工場が林立。

 碧南火力も出力410万kwで、中電の中ではLNGの川越火力480万KWに次いで二番目、石炭火力としては国内最大という、巨大発電所です。

 

 産業道路が1975年、トヨタが1978年、80年にシェル石、82年に自動織機、そして碧南火力が1991年*というなので、ここ数十年で大きく変容した地域ということになるでしょうね。   

 埋立地の造成が始まったのは1964年、今日、市域の40%が埋立地だそうです*。

 

 そのような臨海部の工業地帯が、現代の碧南の財政や経済を支える「柱」であり、また現代の碧南を象徴する「表看板」なのでしょうが、しかし、この街には古い別の「顔」もあるような気がして、今回は電車で、碧南に向かいました。

 

 

 上画像は、名鉄三河線の終点碧南駅。

 

 本来は人口7万人の碧南市の玄関口ということになるのでしょうが、瓦葺きで平屋、いつ頃の建物なのかわかりませんが、駅前も含め、レトロな雰囲気が漂っています。

 

 碧南駅の旧称は、「大濱港」。 

 「三河鐡道」により、1914年に開業しました**。 

 

 三河鐡道株式会社『三河鐡道営業案内』(1914年)に、

 

 大濱港驛 新川町驛の南二里餘、本鐡道現在營業線路の終点なり。

 

とあるように、大濱港が終点でした。

 

三河鐡道「三鐡沿線」

 

 上画像は、「三河鐡道」のパンフレット「三鐡沿線」(1935年)。

 

 同鉄道は、1926年に神谷***、1928年に三河吉田****、1929年には三河鳥羽*****、さらに蒲郡まで開業させたのは、この図の翌年、1936年のことです。

 

 また、『三河鐡道営業案内』(1914年)には次のように書かれています。

 

 海岸よりは連絡汽船ありて知多半島及伊勢地方との交通至便なり。

 

 大濱町 衣ヶ浦の南端に位し地形新川と酷似する良港なり、往昔は濱奉行の設けありて幕府の代官来たり住む、當時船舶の往来此の附近の第一位を占めたりと云ふ。

 

 大濱は江戸時代以来、港町として栄えたところ、当時は知多半島や伊勢への船便もあったようです。

 

 

 上図は1923年鐡道補入の「二十万分一帝國圖 名古屋」。

 

 当時はまだ三河鐵道の終点も「おほはまみなと」であり、また埋立地がないので、「衣ヶ浦」の幅もずいぶん広いように感じます。

 

 そして、その衣ケ浦の東岸に新川町・大濱町・棚尾村が並んでいます。

 

 大浜町・新川町・棚尾町・旭村が合併し碧南市となったのは1948年、1954年には、大浜港駅も碧南駅と改称しました。

 

 当時は碧南駅が碧南市の顔だったのだろうと思います。

 

 ただ、現代において、愛知県は全国有数の自動車県。

 自動車保有台数は全国一であり、道路総延長も北海道・茨城に次いで全国三位です。

 

 モータリゼーションの影響なのでしょうが、2000年4月、碧南~吉良吉田間は廃線となり、碧南駅は再び終着駅に。

 

 線路も車止めがなされ、雑草に蔽われつつあるようです(下画像)。 

 

 

*半島の中心都市と港を埋める工業都市」、平岡昭利・野間春雄編『中部Ⅰ 地図で読む百年』

 

**『官報』第459号(1914年2月10日)

 

***『官報』第4215号(1926年9月10日)

 

****『官報』第508号(1928年9月4日)

 

*****『官報』第792号(1929年8月19日)