(前回より続く)

 

 知立市歴史民俗資料館を見学した後は、隣の知立市立図書館展示コーナーへ。

 

 三河知立駅開業100周年記念展「知立の駅ものがたり」が開催中でした。

 

 三河鉄道の創立は1912年*。同展の展示解説によれば、1889年に全通した東海道線の沿線からはずれた町村の有力者が危機感を持ち、発起人となったそうです。

 

 

 そして、1914年2月、刈谷新~大濱港間9.0哩が軽便鉄道として営業を開始しました**。

 

 

三河鐡道營業案内

 

 

 上画像は、三河鐡道株式會社『三河鐡道營業案内』(1914年7月)***。

 

 

 上写真は、おそらくは杜若の咲く八橋の「無量寿寺」であり、下は大濱港の「傘松」ということになるでしょうか。

 

 

 ちなみに、「刈谷新驛」については、

 

 

 東海道線刈谷驛に隣接し貨客共に院線と連絡す。(略)本社所在地にして、機関庫、車庫等一切の設備茲にあり。

 

 

 

と紹介があります。

 

 

 続けて、1915年10月には、刈谷新~知立間2.5哩が営業を開始しました****。

 

 

 これも展示解説によれば、東海道線を越える工事が難工事となることが予想されたため、二期工事となり、開業が遅れたそうです。

 

 
二万五千図「安城」より刈谷駅周辺
 

 上図は、1927年鉄道補入の五万分一地形図「岡崎」。

 

 

 東海道線の「かりや」駅に「隣接」しているのが三河鉄道の「かりやしん」駅。

 

 そして、そこから東南東に伸びた線路が、北東にカーブしたところで、東海道線の上を越しています。

 

 なお、同展の展示解説によれば、1927年、「隣接」とはいいながら100mほど離れていた「刈谷新」駅を、東海道線の刈谷駅に移転し、共同駅として、駅名を「刈谷」と改めています。

 

 

 話を元に戻して、三河鉄道は、1926年に神谷(後の松木島駅、2004年廃駅)*****、1928年に三河吉田(後の吉良吉田駅)******、さらに1929年には三河鳥羽*******まで、路線を延伸します。

 

 

三河鐡道「三鐡沿線」 

 

 上画像は、「三河鐡道」のパンフレット「三鐡沿線」(1935年)。

 

 

 知立を経由し、神宮前に向かっているのは、当時の「愛知電気鉄道」(現在の名鉄)であり、安城から刈谷を経由し名古屋に行くのは、東海道線です。

 

 

 それに対して、太い赤線が当時の三河鐡道。1935年当時は、三河鳥羽が終点だったということがわかります。

 

 同展で配布された冊子の年表によれば、三河鐡道がさらに路線を延伸し、蒲郡まで開業させたのは、翌1936年のことでした。

 

 

 

 

 

 

*名古屋鉄道株式会社「名鉄創業120周年記念サイト

 

**『官報』第459号(1914年2月10日)

 

 

***国立国会図書館デジタルコレクション

 

 

****『官報』第981号(1915年11月6日)

 

 

*****『官報』第4215号(1926年9月10日)

 

 

******『官報』第508号(1928年9月4日)

 

 

*******『官報』第792号(1929年8月19日)