上図は、1937年第二回修正測図之縮図の五万分一地形図「津東部」。
現在の三重県津市、当時の河芸郡一身田町に、真宗高田派本山の専修寺があります。
高田派は末寺約650*ということなので、真宗の中では、本願寺派・大谷派に次ぐ、第三の勢力。
その本山にあたる専修寺も、敷地約3万坪*の大伽藍です。
さて、昨日のこのブログでは、その専修寺の「御影堂」と「如来堂」を見てみたので、今日は、その間にある「句碑」を(下画像)。
碑裏を見ると、如来堂の昭和大修理を記念し、1991年に建立されたもののようです。
千部讀 花の盛の 一身田
出典は、珍碩撰の『ひさご』(1690年)**で、第一歌仙「花見」の十七句。
十七句目は「花」の定座なので、「花の盛の」と詠んだということになろうかと思います。
ちなみに、十六句目は芭蕉で、「雁ゆくかたや 白子若松」。
「白子若松」と言うと、「白砂青松」の浜が目に浮かびますが、一身田に白子・若松と繋ぐと、伊勢平野を雁が北上していくイメージということになるでしょうか。
一身田と白子村は伊勢国奄芸郡で、若松はその北の河曲郡です。
また、「千部讀」とは、真宗高田派の「千部法会」のことかもしれません。
専修寺のウェブページ「本山諸法会 」及び「高田派略年表 」を見ると、第十六世堯円上人が1680年、「講千部会」という名称で始めた法会で、江戸時代にはお七夜以上の賑わいを見せたようです。
堯円は、「御影堂」や「山門」建立時の上人でもあります。
さて、昨日のこのブログで登場した「御影堂」の正面に、「山門」があります(下画像)。
同寺のウェブページ「山門 」によれば、専修寺伽藍の総門ということになるそうです。
左右に塔頭があり、参道は石畳、そしてその突き当りに山門という、由緒ある寺院の門前らしき佇まいです。
上図は『伊勢参宮名所図会』(1797年)*の挿画「一身田高田山専修寺 其二」。
右上が本堂にあたる「如来堂」で、右中央が「山門」。そこから左下に向かって参道が伸びています。
参道の途中にあるのは、「石橋」。
現地にある津市教育委員会の説明板によれば、「山内寺院と町家を隔てる堀の上に架かる橋」。
1760年の建築というこの石橋も現存しており、こちらは津市指定の有形文化財だそうです。
*平松令三「専修寺」、『週刊朝日百科 日本の国宝83 三重・岐阜』(朝日新聞社、1998年)
**『新日本古典文学大系 第70巻 芭蕉七部集』(岩波書店、1990年)