「杉野兵曹長顕彰碑 」を見たあと、真宗高田派本山の専修寺に行ってみました。
下図は、1937年第二回修正測図之縮図の五万分一地形図「津東部」。
図の南東にあるのが、「たかだほんざん」駅。
伊勢鉄道が1915年、「一身田町」駅として開業させたもので、当時は終点でした**。
伊勢鉄道は路線を北は四日市から桑名、南は津新町まで延伸させたようですが、経営危機に。
1936年に参宮急行電鉄に吸収合併されました。
現在の近畿日本鉄道名古屋線です。**
さて、その近鉄名古屋線の高田本山駅で下車し、西北西に20分ほど歩いたところで、本日の目的地、専修寺に到着しました。
伽藍のわりにはやや小振りの門と思ったのですが、こちらは「太鼓門」。
建物の内部に、町の人々に時を知らせた「太鼓 」が吊り下げられているそうです。
上画像は、『伊勢参宮名所図会』(1797年)の挿画「一身田高田山専修寺」*。
左下が太鼓門ということになるのでしょうか、当時は二層だったようです。
専修寺のウェブページ「太鼓門 」によれば、改装されたのは1861年。
国の重要文化財です。
さて、寺内に入ると、大きな建物が見えてきました。
間口 42.72m 奥行33.50mで、725畳敷という「御影堂 」です(上画像)。
1666年の上棟で、国の重要文化財。木造建築として全国で五番目の大きさ**だそうです。
その御影堂の西にあるのが、1744年の上棟で、やはり国の重要文化財である「如来堂 」(下画像)
「御影堂」に比べると半分ほどの大きさですが、教義の上では、こちらが本堂になるそうです。
「御影堂」には親鸞聖人像が、「如来堂」には本尊の阿弥陀如来が安置されていました。
話が横道にそれますが、私が思うに、真宗の中で、この専修寺の持つ特徴は、仏堂が南面していること。
「阿彌陀経」***に、
従是西方 過十万億仏土 有世界 名曰極楽。
其土有仏 号阿彌陀。
今現在説法。
とありますから、阿弥陀仏が現在、法を説いているのは「西方」の極楽という世界。
したがって、「西方」に向かって手を合わせるべく、真宗の仏堂は東面するのが一般的です。
では、専修寺はなぜ南面しているのか、同寺のウェブページ「御影堂 」に、次のように書かれていました。
正保二年(1645)の大火による伽藍焼失後、津藩から寄進せられた新境内地に建造されましたが、このときの住持堯秀上人はお堂を東面させようとしたのに対して、門信徒らが南面を主張し、現在見るように南面して建てられました。
この堯秀は第十四世。
『岩波仏教辞典』によると、十世真慧の時に本願寺に対抗しようと、布教の拠点として一身田に無量寿院を建て、13世堯真の頃から、教団の中心が一身田に移り、専修寺と改名したそうです。
(次回に続く)
*国立国会図書館近代デジタルライブラリー
**津市教育委員会『一身田寺内町』(2009年)
***『浄土三部経(下)』(岩波文庫、1964年)